おかあさんのはなし

惚気ます。

入籍してしばらく事情により週末婚状態だったが、同居を始めて(というより、私が家に入って)2ヶ月になろうとする。その間にたまったおかあさん(夫君の)のはなし。

昨日の夜、店から帰る時(彼女はお店を持っている)に道一杯にサラリーマンが5、6人酔いどれ気分で歩いていた。姑はその後ろから自転車で「ちょっとすみません」と通して貰おうとしたら、そのうちの一人が「ほらほら、よけて」と牧羊犬よろしく、他のメンバーにうながして母を通そうとしてくれた。それで、姑は「ありがとうございます」と通りかけたら、こともあろうにその牧羊サラリーマンが姑に向かって「くそババア」と言った。 姑はあまりの急転直下にめまいがしたそうだ。

「よっぽどその場でバターンと倒れてやろうかと思ったけど、地元の人間じゃなさそうだし、やめといたんだけどさ。」

笑いながら帰ってきた姑は、「ババアはババアだけど、くそはひどい」と何度か言っていた。 彼女は、工事に来てくれた人や、大変そうな人に、ちょっとした差し入れをよくする。大概、バナナとかお菓子とかを「ほい、おやつ」と渡す。この間は、神社のお祭り「おとりさま」で寒い中交通整理をしているお巡りさんに通りすがりにホッカイロを投げて渡した。お巡りさんは、不振な顔つきをしていたと、くすくす笑いながら報告してくれた。

ところで、新潟市の某ホテルに入っているジュエリーショップと縁があって、そこで結婚指輪を作ったのだが、その際にホテルのキャンペーンに応募するとディナーショーやらおせちやらボトルキープ券やらが当たるという応募用紙を大量に貰った(金額に合わせて応募用紙をくれると思うのだが、お店のおばさんは面倒だったのか豪快に束でくれた)。それで、私と夫君でせっせと家族みんなの名前を代わる代わる書いて応募したのだが、姑の名前で応募したもので、ペアのスイート宿泊(ディナー付き)が当たった。すると、彼女はホテルに電話をして、当選のお知らせが届いたこと、当てて下さったことへの感謝を述べたそうだ。 そんなひとに育てられた兄弟たちもなかなか面白い。

まだ夫君たち兄弟が小さかった頃、みんなでおばあちゃんの家に遊びに行った(市内なのでそう遠くない)。苺のおいしい季節で、おばあちゃんの家で、苺を食べようとお皿に盛り、取り敢えずそこにあった砂糖をかけて子ども達に出したところ、ひと口食べた夫君のお兄さんは、もそもそとこう言った。

「おれ、イチゴはあまい方が好きかな・・・」

姑がたっぷりかけたのは塩だった。 ちなみに、夫君は小学生低学年の頃、風邪をこじらせて小児科に行かなくてはならなくなった時に、

「この歳になって親に付き添われて病院に行くなんて」

と嘆き、周囲をのけぞらせたらしい。

(彼は小学生の頃、夏休みの宿題で観察日記用に朝顔を育てた。「植物は話しかけるとよく育つ」と聞いて、毎日話しかけるようにした。新学期が始まって、学校に朝顔を持って行ったら、彼の朝顔だけそれはもうびっくりする程大きくなっていたという。)

結婚前に、夫君は

「腹が立つことがあっても、寝ると忘れる」

と言っていて、はぁ、こういう奇特な人もこの地球には存在するのだなと感心したのだけれど、生活してみると、この母にしてこの子ありなのだな、とよく思う。そして、多分、「この義母にしてこの嫁あり」もあって、最近、わたしは腹を立てることがすっかりなくなって、ふやふや笑っていることが多い。 iPhone 4Sに変えたら、通話が2回に1回成立せず(全く音がしなくて、表示も「接続中」となるのだが、相手にはかかっているので無言電話になってしまう)、auショップ、auのiPhone顧客サポート(ここの対応はひどかった!)、Appleサポートとたらい回しの目にあって、姑が

「それは換えてもらいなさい!」

と先にしびれを切らすくらいなのです。ふやふや。

Transition

死に立ち会う。

不思議と近い感覚を抱きながら、どうしようもなく遠い存在。本来なら、わたしには何も語る資格のないであろうひとつの死。けれど、こうして儀式に参加することになる。

初めてお見舞いに行った帰り、少し後悔していた。もっと、ちゃんとご挨拶すればよかった、たとえ「聞こえない」かもしれないとしても。たとえ、ぎょっとされたとしても。パフォーマンスだとか、変わり者だとか思われて、色々と迷惑がかかるかもしれないとしても。そんなこと、たいしたことじゃないじゃないか。

あの時、おじいちゃんは指を動かして、酸素計測器をはずしてしまった。私はそれに気づいて、おばあちゃんに言った。そうじゃなかった。おじいちゃんは、きっと「よく来たね」とわたしと話をしようとしてくれたのだ。わたしはその指をにぎって、 「こんにちは、はじめまして」 と言えばよかったと、帰り道にずっと考え続けていた。

お盆にはもう一度行って、今度はちゃんと「もう知っているかもしれませんが、まりといいます。よろしくお願いします。」と言おう、と。 そういう後悔は大体「アトノマツリ」になる。 そのひとが、もうそこにいない、という事実は亡骸を見れば一目瞭然なのに、いよいよという瞬間までぼんやりとしていて、魂に包まれていた身体が無くなってしまうという現実につきつけられて胸が苦しくなる。好きな人が悲しんでいるのはつらい。どんどん透明になっていってしまうようで。大切な人たちが悲しんでいるのはつらい。この場面にいままで幾度か立ち会っているけれど、その都度そう思う。自分が悲しいよりつらい。 おじいちゃんとは、ほんの少しだけすれ違っただけだけれど、これからも続いて行くひとつの歴史の中にわたしも組み込まれて行くんだ。家族に支えられている。しっかり守って受け渡していかなくちゃな。

FIN DE SEMESTRE (学期末)

"L'école est (presque) finie" pour mes étudiants, et maintenant c'est boulot boulot pour la prof...

試験は先生も怖いんだ。生徒が書いたり消したりした苦労の跡の答案を見るのには勇気がいる。 もし、全然解けていなかったら・・・ もし、易し過ぎてつまらなかったら・・・ もし、説明が理解してもらえていなかったら・・・ 生徒の答えに赤を入れるのに快感を感じるサディスティックな先生もいるかもしれないが、わたしの場合は赤い線(エラー部分には下線を入れるようにしている)を入れる度に自分にも同じだけ×が入るような気がしてしまう。 ので、今は全身朱色の耳無し法一みたいになっとるところです。

フランス語って、やっぱり難しい。嫌みでなく、そう思います。 かつて絶望を感じた難しさや面倒さというのが過去の思い出になってくると、つい「あー、あのややこしさねぇ。まぁ、精一杯がんばりなよ」みたいな、経験者の上から目線でにやにやしてしまいそうになる。そういう態度は語学嫌いを増やすだけだし、今現在の苦しみをわかって、なんとかしてくれない先生じゃ、相談する気も失せる。だから、なるべくその苦しみを共有するようにはしているのですが...

白状すると、 フランス語をある程度のレベルまで続けて来ると、文法上の難問には、もはや苦しみでなく美しさを見出すようになってくるわけで・・・まぁ、フランス語を長く続けているやつなんて変態に近いものがあるからな。世の中には、アブナイ人がたくさんいるのですよ。

今朝からなぜだか懐かしいBen Folds Fiveの「Where‘s Summer B. ?」が頭の中でぐるぐる回っている。解消するにはピアノのふたを開けるしかないか。 EXTENSION58は本日ツアー最終日で大阪に乗り込んでいます。6時間かけて行き、6時間かけて戻って来る・・・よくやりますよ、「新潟の笹団子野郎」たちは。ツィッターで色々報告してくれるので、見ていると面白い。

http://twitter.com/#!/EXTENSION58 前回の動画がかなり映像が遅れるiPod touchの謎現象ムービーだったので、ズレないやつを。 

誰か、iPod touchで撮る動画の映像が音声より遅れるバグの解決法を教えて下さい。リセットしたらいいのかな。

Purification 浄化

わたしがEXTENSION58というバンドを知ってから、8月でまだたった2年なのだけれど、その間に2回同じ光景に遭遇した。

一度目は、わたしにとって2回目のライヴで、丁度15周年記念のワンマンだった。 連れて来てくれた友人が、当時、家庭の事情で心も頭もそのことでよじれるようになっていた。第三者が端で聞いていてもやるせない気持ちになってしまう位だから、当事者の家族である彼女の具合が悪くなってもおかしくない。 ライヴの途中から少しずつ吹っ切れて来て、終わった時には顔色が良くなっていた。悩んでも仕方ないから、もうやめたと言って笑った。

二度目は一昨日、SUNSHINE LOVE TOUR 2011 新潟2daysの二日目、海の家nefでのイベント「ベルウッド・ストック2011」で。 思い立ってモブログからリハーサル中の写真をUPしたら、それを見て、ふらりとやって来てくれた方がいた。 彼も、仕事で思うように行かないことがあって気分転換に来たと話してくれたのだけれど、終わった後話した時にはやっぱり顔色が良くなっていた。自分と同年代で、同じように

「地方都市新潟を拠点にがんばっているおじさんとして」。

たぶん、4人のおじさんたちは(笑)、(そう思うことも折にふれあるだろうけれど)「元気をわけてあげたい」を主たる目的として活動しているわけではないと思うし、彼ら自身もそれぞれ生活の中で浮き沈みがあると思うから常に元気なわけではない(鈴木さんは1日目に歯茎が腫れていたし・・・)。だけど音楽が好きで、演奏が好きで、みんなと一緒に自分たちがやっていることが好きで、その「好き」には、心に溜ったいらないものを溶かしてしまう力があるんだと思う。

先日「好き」という言葉についてちょっと書いたけれど、彼らの音楽には、「好き」の原始的な力がいつも満ち満ちているんだと改めて感じた。 好きなことを、機嫌良くやっているって自分を振り返ってもあまりないような気がする。 そこまで、自分の仕事なり趣味なりを全力で愛しているかっていうと、好きなはずなのに、全力出せていないよなぁ。

わ、「ひたむき」だ。今年の標語(すっかり記憶から抜け落ちていた)。 よっしゃーやるぞー、わたしも。 久々に聞いたTHE DISAPPOINTMENT (in 3rd アルバム「THE DAYS IN THE WATER」)少々いっこく堂(音が遅れる)。

Source: https://unsplash.com/@dannayyyboi

Et si on gazouillait un peu ?

ホリエモンのgo to jail Tシャツを新聞で見かけた夜、殺人罪でジワジワと追いつめられる夢を見てしまった。こういう場合はどこに文句を言ったらいいのだろう。Ah si j'étais Français !!! (念のために、「si j'étais Française」 に非ず) フランス人(男)だったら良かったのに!(大声) ・・・と、この仕事を始めてから何度思ったかしれないが、だいたいそう思う時が何時なのかがわかった。 リスニングの課題を作っている時。適当な素材はそう簡単に見つかるものではなく、だったら自分で作った方が早いのだが、やはりどうせならネイティヴが話しているのを聞いて欲しいと思う。 こういう時ネイティブのパートナーがいればいいのかもしれないけれど、きっと鈴木先生ばりの私の熱血演技指導が細かすぎてうんざりされ、結局二度と引き受けて貰えなくなったりしそうなので、やっぱり自分がフランス人である方が便利に違いない。なぜ男なのかというと、日本人のフランス語学習者はまだ女性率が高いので、男である方が顧客が増えそうだという、純粋に邪な理由からです。 ヨコシマといえば、昔、日本語を教えていたフランス人(男)が愛すべきアホなやつで、血迷って日本に行きたいなどと言い出したので 「日本語もまともに話せないのにどうやって仕事探すの?」と聞くと 「ガールフレンドを作ってヒモになる」などとけしからんことを言う。 「そんな簡単にはひっかからないよ(だいたい目の前の日本人さえひっかけられないではないか)。」 「いやいや、今トウキョウに行ってる奴がいて、そいつ情報だと結構ちょろいらしいんだ。」 そこで彼が次の台詞を言わなかったら、間違いなく「大和撫子をなめんな」とグーでぶっていたと思うのだが、私の額に青筋が入っているのを知ってか知らぬまま天然でか、 「C'est facile, je porte un T-shurt et là-dessus j'écris " I'm a Master of the French Kiss" 」 (簡単だよ、「僕はフレンチ・キスの師匠です」って書いたTシャツを着て歩くんだ」) と、いわゆる「どや顔」で言ってのけた。その瞬間に全ての力がへなへなと抜けた私は、 「Hélas, comme je suis 36 milles fois mieux et plus sérieuse que lui, j'aurais été mieux que lui pour être faite Française !!!」 「ああ神様、わたしはこいつより3万6千倍(フランス語ではなぜか「いっぱい」のことを「36000」という)いいやつでまじめです。こんなやつでさえフランス人であるのなら、いっそわたしをフランス人にしてくれたっていいだろうに」と思わず天を仰いだのだった。 (断っておくが、私はフランス人至上主義なわけではない。) そんなエピソード含め、冒頭の一言を生まれて初めてツィートしたいと思った。ツィッターやってないけれど。 タイトルの Et si on gazouillait un peu ?の「si(1)」 と、わたしの心の叫び Ah si j'étais Français !!!の「si(2)」 はちょっと役割が違う。同じように後ろにimparfaitの形が来るけれど、 (1) は「~しようか」「よかったら~しない?」という勧誘。「ちょっとつぶやいてみよっか?」 (2) は願望を表す「もし」の使い方。「フランス人だったらなぁ!」 (1)の表現を使って誰かを誘えるようになったら、立派なフランス語話者と言えるのだ。

ガマ好きのルーツ

財布をガマ口に替えた。そうすると、鞄の中の小物入れ(メイクポーチ、薬入れ)が全部ガマ口。ちょっと壮観。 そこまでガマラブのつもりはなかったんだけれど、これでは言い訳できない。 しばらく忘れていたが、私がガマ派になったのは、そもそも高校を卒業して上京した頃にこれを見たからで・・・(ジャン=リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」)

本当になんでもないシーンで(ジーン・セバーグが出るシーンではなかったからYouTubeで探してもやっぱり出てこなかった)、朝ご飯を食べるお金もないチンピラのジャン=ポール・ベルモンドが、タカリに行った女の子の着替え中に財布からお金を盗む、それがガマ口だった。 女の子がワンピースをかぶり頭が出なくてモタモタしているのを見計らい、太いゴロワーズをくわえたベルモンドがタンスを開いて洋服の間に挟まっている財布を探り出し、ごっつい指でパカっと開いて、中からくしゃくしゃのお札をぐしゃぐしゃと出してあわててポケットにつっこむ。財布を元の棚に滑り込ませると同時に、女の子がやっとワンピースから顔を出し、絶妙のタイミングでくるっと彼の方に向き、にこっと笑う。 これがチャックの財布だったらここまでこのシーンが私の中で焼き付いたりはしなかったんじゃないかと思う。「私もパカっと開いて中からぐしゃぐしゃっとお札を出したい!」と熱に浮かされたようにそのことばかり考えた。 留学する直前に、たまたま新宿の京王デパートを歩いていてラ・バガジュリーのガマ口を見つけた。お陰でフランスでは思う存分パカっと開いてはグシャッとやっていた(ユーロ札は柔いのでくしゃくしゃにし易い)のだが、あまりやり過ぎたのかあっという間に財布はすり切れ、3年で壊れてしまった。それで、現在は薬入れにしている小さな黒い小銭入れに無理矢理お札を折り畳んでいれていた(グシャッとやると一枚しか入らない)。母に貰ったこの布製のがま口はビーズの刺繍がしてあって、ナントの各スーパーのレジのお姉さんに大変評判が良く、「可愛いですね~、どこの?」「日本です」「あー・・・(こっちじゃ買えないのね)残念!」と、よく声をかけられた。 意外に思われるかもしれないのだが、私はわりと鞄の中を整理する方で、無駄なレシートやポイントカード類は一切持たない。本当ならポケットに入れて手ぶらで歩きたいくらいなんだけれど、それは幾ら何でもパチンコに行くおっさんのようなので自重している。 ゴダールの映画は難解すぎて付いて行けないものもあるけれど、初期のものにはやっぱり影響を受けた。ところで、「勝手にしやがれ」を検索するとジュリーばかり出て来てしまうのですが、原題は「A bout de souffle (ア・ブゥ・ドゥ・スゥフル)」息もきれぎれに、という意味です。

Here Comes Sunshine

SunshineLove タイヨウガコイシイ。
やっとこさ手もとに。EXTENSION58の新作ミニアルバムSunshine Love。 ポスター +PASmagazine 6と7月号。パスマガの記事で鈴木さんと斎藤さんの名前があべこべに書かれていましたが・・・後ろ姿でわかるけど。 ポスター(教室に貼る)の写真、意外なる大きさに一人うろたえております。背中向いててくれて良かった(笑)。 あした(今日)からツアーが始まりますね。いってらっさい、梅雨の日本列島に真夏の愛と太陽をじゃんじゃん降り注ぎに!新潟で夢見て待ってますよぅ、やみつき純情ロック! EXTENSION58 [SUNSHINE LOVE TOUR 2011] 2011/05/29 sun 長野 NEON HALL(026-237-2719) 2011/06/05 sun 東京新宿 red cloth(03-3202-5320)ローソンチケット(Lコード:75273)発売中 2011/06/12 sun 秋田 CLUB SWINDLE(018-865-7150) 2011/07/02 sat 新潟 GOLDEN PIGS RED STAGE(025-201-9981) 2011/07/03 sun 新潟 青山海岸 nef【bellWOODSTOCK Music Festival 2011】(025-267-7009) 2011/07/10 sun 仙台 LIVE HOUSE enn 3rd(022-212-2678) 2011/07/24 sun 大阪十三 FANDANGO(06-6308-1621) チケットは各会場の他エクステンションのホームページからも予約できます。

Et alors (だからどうした)

一昨日、歩いている私の横を通った車の運転手のおじさんが、ものすごい勢いで鼻に人差し指を突っ込んでいた。運転手は意外に外から見られているし、意外によく見えるのだということを、自戒を込めて記しておく。

Avant-hier, dans la matinée. Une voiture dont le conducteur était un vieux monsieur a passé à côté de moi marchant dans une petite rue. Il s'est passionnément gratté le nez avec son index gauche. Les piétons voient assez souvent le conducteur et peuvent savoir ce qu'il fait là-dedans malgré lui. C'est ce que je dois comprendre.

最近笑ったフランス短編映画:Les Williams (2008, Alban Mench) ド二・ラヴァンはもうなんか色々と超越してしまっている。

メルトダウン

GWにぷらぷらしていたのでバチがあたったらしく、口唇ヘルペスに感染してしまった。どくだみ先生の所に駆け込んだら、抗ウィルス薬と漢方薬を処方され、更に「針をやる」というので、鍼灸だと思いきや、長さ2ミリ程の針を両手の甲親指と人差し指の間それぞれと、首と口元に刺されて上から思いっきりテーピングする。

「あのー・・・これはいつまで刺さったままなんでしょうか・・・」

「うーん、ま、金曜日位までだな」

そんなわけで、大学では首をねじる度に刺さっている針が微妙に刺さって(日本語がおかしいですが、他に表現しようがない)板書の度に「アタタ」と言いながら授業をするというていたらくだった。 せっかく抜き打ち小テスト(といっても、短期の暗記でどれくらい記憶が抜け落ちているのかを実体験してもらうためで、成績には関係ない)をやろうと思っていたのに、でっかいマスクをかけていると愛嬌が70%位落ちてしまい、そんな姿で「抜き打ち~」などと言えば学生からは恨まれ、名前を書いた人形に針をさされてしまったりしたらたまらんと敢えなく断念。生徒達は「我、まさに脳細胞活性化中なり」と言わんばかりに「Je suis japonais」などと覚えたフレーズをいそいそと唱えてくれたので、信用することにする。

そんな状態で、駐日フランス領事のマルタン氏が来られて講演をするのでその通訳をしてくれと頼まれる。 通常は、講演の通訳って事前に原稿が来るものだと思うのだけれど(と、考えるのは甘いか)、当日ぎりぎりまで待っても原稿は届かず、結局事前のブリーフィングのみの同時通訳状態で行わなければならないことに。

しかもテーマは原発・・・ しかし、マルタン領事はその物腰の柔らかさ、丁寧さが本当に温かく、威厳がありながらちっとも威張っていないという良い印象・思い出しかないし、連日地震関連で疲れもピーク、体調も思わしくない中新潟・仙台を訪問というので、こんな地方の(というと失礼だが、まあいいや理事だからあえて言おう)小さな協会の為に講演をしてくれるのだからわがままは言えない。 仕方なく、ざっと原発関連のニュースやら専門用語やらを集めて予習したものの、不安は残る。 当日待ち合わせの場所へ向かうと、領事はにこやかに 「Ah, mademoiselle, je suis très heureux de vous revoir ! (ああ、あなたにまたお会いできて嬉しいですよ)」 と手を差し出して下さり、「えー、以前お会いしたことがありまして」などと説明を考えていたので拍子抜けしたのと、覚えて下さったことに嬉しくなってしまい、咄嗟に言葉が消えて口の中でもごもごと挨拶をするだけになってしまった。ロスト・イン・トランスレーション。違うか。

考えてみれば、会って早々「領事はご結婚されていますか」などとうっかり勘違いして尋ねるようなまぬけな通訳は他にはいないだろうから、あるいは印象に残っていたのかもしれない。 しばらく会長・事務局長とのやりとりを通訳し(この辺りは快調だったのだが、振り返ってみるとここらへんが既に能力のピークだった)、その後講演の打ち合わせを行う。 ここで、悪い予感が当たった。

「僕の持ち時間は40分くらいだから、半分講演にして、あとは質問コーナーにするよ。質疑応答の方がやり易いから好きなんだ。」

やはり・・・ 通訳にとってこの質疑応答ほどやっかいなものはない。 台本なしの不安というより、こういう時手を挙げる質問者というのは、国籍問わず、大概「質問」と「感想」の区別がついていない方だったりする。それに、人前で意見を述べる時というのは只でさえ緊張したり興奮したりして普段よりも伝わりにくく、本人は「いってやった!」感に恍惚となって着席するが、通訳はその感情のほとばしりの中から適当な文脈を抽出(というより、ほぼイタコ的能力で察知)して的確な質問をこさえなければならない。しかも、今回のテーマはとても微妙で難しい「原発」。 と、そこへフランス人G氏がかなりラフな様子で登場。話の流れから、彼が質疑の日仏訳をしてくれることになった。私は応答の仏日訳をすればよい。あ~だいぶ気が軽くなった。

「で、今日のテーマってなんなの?」

「原発。」

「・・・・。」

今更やめたとは言わさんぞよ。 領事はスピーチで使う用語や話題を教えてくれ、現場で私があたふたしないように最大限の配慮をして下さった。 のですが・・・ 会場設備は講演者のことを何も考えていないのか、ステージには「漫才お願いします」と言わんばかりにマイクがいっぽん無機質に突っ立っている。領事はステージに乗ったものの困惑。あわてて講演用のテーブルやらマイクやらを用意してもらい、通訳用のマイクと、用途不明かつ中途半端な高さのテーブルをがたごとと設置している途中で領事はスピーチを始められ、完全に乗り遅れた頭は空っぽになってしまった。 その後も、ちょっと気を緩ませるとぼんやりしてしまい、領事に発言を繰り返してもらうという、相手がこの方でなければ多分大目玉を喰らうであろうそれは酷い出来でした。

「実際に始まると、力(本来持っている仏語力・日本語力)はがくーんと落ちるからね」

というG氏の呪いの言葉(!)が甦る・・・。 おっしゃる通りでございます。 だいたい、米原万里の著書を読んで以来、気を使い過ぎて早死にするに違いない(という思い込み)から通訳にはぜったいなりたくないと思ってたんだい。得意げに下ネタや親父ギャグや差別発言を繰り返すクライアント(※領事は当てはまらない)に殺意を抱く位、心身を摩耗する大変な職業なんだって。 などという言い訳が心の中で泡のようにふつふつ沸き上がって来る中で、ツギハギ通訳は終了。いよいよ恐怖の質疑応答タイム。 司会が指名した女性がマイクを手に発言を始めるのと同時に、ステージに一番近い席に座っている男性がやおら語り始め、かぶっていることに気が付かない。

Ca commence bien...(ハジマッタ・・・[先が思いやられる])と戸惑っていると、マイクで話していた女性が、気を利かせて男性に「先に質問されますか」と親切にマイクを持って来てくださり、一同ほっとする。男性は身振りを加える度に空いている右手を使わずマイクを持った左手を勢い良く動かすので、その度にF1レースの物まねのように声が遠くへ消えてしまう。もう、わたしは何に集中していいかわからなくなってしまい、ああ、「Verba volant scripta manent (ウエルバ・ウォラント・スクリプタ・マネント、ことばは飛び去る、書かれた文字は残る)」と言った古代ローマのひとは偉いなぁなどとふわふわ考えていた。 こ

こで登場のG氏は、質問者のおっそろしく長い発言を猛烈なスピードで領事に耳打ちし、領事はうんうんとうなずくと的確な返答をする。G氏の説明は聞こえないが、領事の返答から非常に素晴らしい要約をしているのだというのがわかる。これだよな。この能力こそが、語学で磨かれる力だよ。この力が欲しい・・・欲しいが通訳で早死にする(と、決めてかかっている)のは嫌だ。 今回「仕事」で受けたのではなくてよかった。だからといって手抜きはしていないが、経験不足は否めない。 どくだみ先生からは「なるべく少食にして、脂っこいものはだめ」と釘を刺されているのを幸いにディナーを辞退し帰宅。 ちょっと修練を積んでいい気になっている時、くいくいと伸びたその鼻をへし折るのに通訳というのはとてもよい仕事だ。

今回の通訳で参考にした原発関連のURL : OVNI「フランス全国の19カ所に原子力発電所」: http://www.ilyfunet.com/actualites/on-en-parle/695_centre.html Wikipédia.fr「ANS」 : http://fr.wikipedia.org/wiki/Autorité_de_sûreté_nucléaire IRSN「Accident de Fukushima-Daiichi Bulletin d’information n° 5 du 29 avril 2011」: http://www.irsn.fr/FR/Actualites_presse/Actualites/Documents/IRSN_Residents-Japon_Bulletin5_29042011.pdf Le Monde「Japon」: http://www.lemonde.fr/japon/

VERS LA RENTREE (新学期へ)

3月末、「たまの映画」を見に行った。とてもほっとして癒される映画だった。 私は「たま」というバンドについてはかろうじて「きょ~じんるいがはじめて~もくせいについたよ~」という歌と、風変わりな格好をしたメンバー(特に裸の大将がいる)、などの断片的な思い出しかなかったのだけれど、今改めて聴いてみると絶妙だなぁと思える。もうこれはないんだなと思うと残念だ。(柳原幼一郎はやっぱり映画にもでてこなかったし、たま復活はあり得ないんだろう。) 残念なんだけど、映画の中で紹介されたそれぞれの音楽(現在は個々にライブハウスで活動をしている)、表現の仕方もサウンドも全く違う、個性が生き生きと弾けているのを見ると、やっぱり解散してよかったのかもしれないなと納得する。元々、メンバーが全員ソロで活動できるひとたちの集合体だから、当たり前。それでも、彼らそれぞれのパフォーマンスの中に、音に、どこか繋がるものを感じる。みんな同じ「優しさ」が聴こえる。ああこのひとたちは離れなくちゃならなかったけれど、やっぱりどうしようもなく一体なんだなーと温かい気持ちになった。

EXTENSION 58の鈴木さんが 『「じっとしているよりもとりあえずちょっと動いてみよう。」との思いの中で、急遽、フリーライブを行うことにしました。』 というので、パルムに聴きに行った。狭い店内はすでにほぼ満席で、駐車場でばったり会った同じくエクステ斉藤さんと共にバンドの目の前を陣取ることに。 それにしても、斉藤さんにしろナビ君にしろ、適当な時間にふらりと来て、入った時にTRIOが「さて始めようかね」という感じだった、というところに何とも「息ぴったり」感を感じる。やはり同じバンドを組んでいるからなんでしょうか。

ただ演奏を聴くだけでなく、ドラムの青木さんがスーパーの現状を教えてくれ、今自分が何ができるのか、何をやらなくちゃならないのかということをもう一度振り返ろう、マスコミの流す情報に踊らされたり、噂やデマに振り回されないよう、情報を見極める勇気を持とうというメッセージを語り、仙台出身のDJ Ryo君が、メディアが取り上げない現地の惨状、自身のご家族や友達の話をしてくれた。被災していない自分たちが必要以上に楽しむ心を抑えない方が、きっといいのではないかというベースのおおのさんの言葉は、中越地震で被災経験があるひとだからこそできる発言だった。そこにいるみんなが真剣に「なにかできることをしよう」としていた。鈴木さんは募金箱を大切に抱えるあまり、自分の鞄を忘れるくらい。

今年は桜ソングよりも被災地応援ソングの花が咲いている。そんな中、ミスチルの桜井さんが「始めは、この状況で『自分ができることを』と歌を作ったり、歌で励ますというのはちょっとどうなんだろう、と抵抗があった」と言っていた。すごくまじめで柔らかい芽のような心を持ったひとなんだな、と思う。応援ソングの中にはとても聴いてられないものもあるから、彼のようにきちんと一歩下がって自問する姿勢は好ましい。

新津美術館に「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」展を見に行く。 うちに「ロボット・カミイ」という絵本があったけれど、その作者だったとは! 雑誌「Olive」がなぜ「オリーブ」なのか、とか、「an・an」のパンダキャラクターはなぜパンダなのか、がわかったのも面白かった。堀内誠一が在仏時代に「anan」に連載していた「パリからの旅」は、パリジャンのくらしや作法が可愛い絵と共にこまごまと記されていて今読んでも面白い。 ぞう好きとしては、ぐるんぱもなかなか可愛い、けど、たしかに作者本人が「だんだんおじさんに見えてくる」と言っているだけあって、少々おっさんぽい(笑)。

「CDジャーナル」(ユーミン特集の号)に、今年は昨年亡くなったクロード・シャブロルの映画が3本日本で公開されるとあった。その中に「La fleur du Mal(邦題「悪の華」になると思う)」が入っていた!うちにあるDVDは仏・英バイリンガルで、生徒さんに見せることができなかったのでずっと残念だったのだ。シャブロルの映画はお上品な人々が出てくる割に結構えげつない死に様のラストが多いのだけれど、この作品は他のに比べればそれ程仰天するものではないし、役者が揃っている。父親役のベルナール・ルコックは本当に巧い。監督の息子トマ・シャブロルもなかなか良い味を出している。登場人物みんなが胡散臭いのがいい。

ラ・フォル・ジュルネはやることに決まったらしい。チケット入手。ヌメア(ニューカレドニア)からやって来る成嶋志保ちゃんの交響曲第7番リスト編曲版が楽しみ。 こうして、少しずつ日常に飲み込まれる。来週から新学期。 さぼっていたら情報が多くなり過ぎたので仏語部は次回にまわすことにします。