パリで最古。 今回の旅は、「おのぼりさんポイント」を外から眺めることにしていたので、モンマルトルにも行くことに。 しかし、私は、あの辺は正直、苦手だ。
サクレ・クールに初めて登ったのは9歳の時。当時(1980年代、と、ここで私の年齢を概算しないように。)、日本語が堪能な神父さんがいて、その頃日本人の小学生があの辺をぶらぶらしているのは結構珍しかったからか、熱烈歓迎を受け、一緒に写真を撮った気がする。もちろん今みたいなケーブルカーはなかったので、みんながあの急所をえっちらおっちら登った。今も昔も変わらず人がうじゃうじゃいる。
大人になって、一人で初めて来た時に、まずピガールの駅でスリに合いそうになった。今は綺麗になったけれど、その時は改札が二つだけの小さな暗い駅で、私が改札に来た時に、後ろ手をしてメトロ・マップを眺めている少年がいた。私は普通に改札を通って通路を歩き、角を曲がった所で、向かいから来たおにいさんにいきなり
「Hé oh, t'as fais quoi, toi ! (おいこら、お前何した!)」
と、怒鳴られた。振り向くと、さっきの少年、と、思ったら極端に背の低いおっさんだった、が、私のリュックのかぶせ部分のベルトを外していた所だった。おにいさんは、小さなおっさんにつかみかかり、「取ったものをすぐに出せ」と迫ったのだけれど、リュックの中には朝ご飯に貰ったリンゴ1個とガイドブックが入っていただけだったし、スリに合う程うかつなガイジンではないんだとわかって貰いたくて、私は、「何にも入っていない、取られていない」と必死に説明し、ちっさん(小さいおっさんの略)も、自分は(まだ)何も取っていない、勘弁してくれと繰り返し、盗られ(かかっ)た人と盗ろうとした人が二人で「ないない」を連呼するというシュールな状態になった。
このまぬけな二人組にあきれた感を漂わせつつ、正義感に溢れたおにいさんは、私とちっさんを放免(?)したのだが、この時「人は見かけによらぬもの」ということわざは、むしろ「人は『見かけ』によらないことはマジで少ない」とアップデートされたのだった。見かけ、というより、その人の纏っている、というか、魂が吐き出している、空気をよく感じないといけない。
・・・という思い出の他にも、行く度に(ガイドとして行かなくてはならないことが何度かあった)、しつこい絵描きを追い払ったり、しつこいミサンガ売りの黒人から逃げたりしなくてはならなくて、そういう困難を乗り越え、心臓破りの階段を登りきった上に見える白いドームも、人を掻き分け入ってみれば「撮影禁止」を知らずにカメラを出して怒られる旅行者達がぞろぞろいてちっとも落ち着かない。
今回も覚悟しつつ、立ち並ぶセックスショップ(この辺は本当に多い)を抜けて、サクレ・クールの登り口にたどり着いた。もちろん、ケーブルカー(有料)は乗らずに、細い階段を上る。
急な階段は、真ん中の手すりを挟んで両側に一人ずつが立てるほどの幅しかない。見上げると、途中の踊り場で中学生くらいの女の子達が5,6人、手にボードのようなものを持って立っている。 「まさか、もう似顔絵描きがいるの?」と夫君が尋ねる。まさか、まさか、と繰り返しながらも、彼女達が私の行く手にたむろしていたので、手すりをくぐって反対側に進路変更した。すると、彼女達は私の進路に再び集まる。
イヤな予感。
彼女達まであと5段程になったところで、全員が一斉にわたしたちにロック・オンした。投げキッスをしたりお辞儀したりして何かをお願いしようとくねくねする。他の所でもいたのだけれど、どうやらヒスパニック系の女の子で、何かの署名を募っている。集団スリだ。ちくしょう。
わたしは「Non」を連呼して突破しようとしたのだけれど、彼女達は通せんぼし、一人がわたしの腕を押さえて進まないようにする。さすがにこれは本気を出さなくてはならなくなり、
「Hé, touche pas ! (触んなコラ!)」
と叫んだ。
そのまま、肉弾戦になるかというにらみ合いがあり、私は、昔のフランス語の教科書にあるような、人差し指を相手の心臓に向けて指す、心持ち古くさい「けんかを売るポーズ」で牽制していた(すりこみって怖い)。 ちょろいと思っていたハポンのねえちゃんが意外におっかなかった、というショックに包囲網がゆるゆるとなったのを見計らって、スリ集団を通過する。
なめんじゃねえぞ(財布は落としたけれど)。
この間、夫君は何をしていたのかよくわからないが、彼もひょいひょいと抜けて来た。
後で、ああいう時こそ「Bas les pattes (触るな)」を使えば良かったなぁ、と反省した。なかなか使う機会のないフレーズ。惜しいことをした。
(※Bas les pattes は動物に対して「足を下げろ(おすわり)」と言う時に使うので、かなり侮蔑的。喧嘩をして勝てそうにない相手には使わないことです。この女の子達も、刃物を持っていないとは限らないので、言わない方がいい。)
こういう輩がいるから、みんなお金を出してケーブルカーに乗るのだと、やっとわかった。穏便に済ませたかったらお金で解決なんて、ヤな感じ。 帰りはサクレ・クールの脇の階段から降りて行ったら、静かで良かった。途中、小学生が5人位わーと登って来て、最後に太った小学生の男の子がひいはあ言いながら、「し、しぬ・・・」と立ち止まり、すれ違いに降りていた女性に、「ほんとね」とくすくす笑われたので、少し赤くなり、「ねぇ、休憩しようよー!」とよろよろ通り過ぎて行った。
さて、モンマルトルにはパリで一番古い「STUDIO 28」という小さな映画館がある。内装のデザインをジャン・コクトーが手がけたので、シックで個性的。 コクトーの絵。
ちょうど、「アーティスト」をやっていたので、観て行くことにした。 まあまあ面白かったのだけれど、アカデミー賞か、と言われると、よくわからない(犬は表彰ものだった)。 モノクロで無声なので自然と身体の動きに目が行くため、女性がガッツポーズをしたりするのが、どうも中途半端に現代っぽくなって、冷めてしまった。
こうして振り返ってみると、ちょっと寒々しい「ふれあい」が多かった気がするのだけれど、エッフェル塔を眺めに行った時、撮影ポイントを通ったら、やはりヒスパニック系の、髪のふさふさしたおとうさんが、iPhoneを持て余した様子で、
「ちょっとごめんなさい、これ、カメラってどうやんのかわかる?いやもう、娘のだから、おじさん全然どうしていいかわかんなくって」
と、尋ねて来た。使い方を教えると、
「やー、たすかったー、ありがとね!もうなんだかよくわからない画面が出て来て、どうしようかと思っちゃった」と、ニコニコ嬉しそうに写真を撮っていた。私達もなんだかニコニコとそれを見ていた。こういうお父さんの娘さんは、きっといい娘に違いない。
あっちもこっちもオフシーズンで工事中、閉鎖中の3月。芝生まで「しば、おやすみちゅう」と看板を掲げていた。