何をするかではない。
どう答えるかでもない。
自分が何を感じているか、正直に、何を感じているのかに 光をあてる。
起こってしまった現在の中であなたがどう動くかよりも、まず どう在るか。
友人と共に 家族と共に 人々と共に 自然と共に この宇宙に浮かぶ地球と共に
たいせつな人と共に どう在るか。
日々是々 フランス語とわたしの冒険
何をするかではない。
どう答えるかでもない。
自分が何を感じているか、正直に、何を感じているのかに 光をあてる。
起こってしまった現在の中であなたがどう動くかよりも、まず どう在るか。
友人と共に 家族と共に 人々と共に 自然と共に この宇宙に浮かぶ地球と共に
たいせつな人と共に どう在るか。
"- Vous êtes catholique, monsieur?
- Non. - Vous êtes protestant ?
- Non. - Vous êtes quoi alors ? - ...."
「あなた、カトリック、お兄さん?」
「いいえ。」
「プロテスタント?」
「いいえ。」
「じゃああなた、なんなの?」
「・・・。」
うちのアパートの3階に住む中国系の若者と、一階に住む変わったおばさんとのやりとり。
パスカルのLes provinciales(レ・プロヴァンシァル)を読んでいる時と同じような、何ともいえない脱力感。
見上げた空は、ここ数日の梅雨模様を笑い飛ばすようなまぶしさだった。 夏だよ!夏だよ! もし、私が同じ様に、おばさんに 「じゃ、あなたなんなの?」と聞かれたら、 今日の空のように鮮やかに、 今日の風のようにしゃらしゃらと笑って、言おう。
"Je suis un être humain, qui habite sur cette terre sous ce ciel blue." 「わたしは人間です、この地球の、この青い空の下に住む人間です。」
敢えてこういうことを強調すると、かえってニュータイプの宇宙人かと疑われるかもしれないが。
カレンダーのバッテンは、毎日いっこ増えていく。
「たのしみに」
今、できることを考えて ちょっと未来のことも目をまぶしそうに細めながら眺めて いっぽ、いっぽ、いっぽ、いっぽ
「早よ帰って来なはれ」
ありがとう。 待っていてくれる人がいるって、心強い。
今日はお呼ばれ。 Mさん、Aさんと楽しい時間をすごしました。
Mさんどうもありがとう。 あの雪の絵、しんしんと心に降りつもる気がしました。 白色ってあったかいんだなって初めて思った。 日本に帰って何とか稼ぎ始めたら貰いに行きますから、 「予約済」を貼って置いてね(笑)。
Aさんの書く字を見てみたいなぁと思いました。 Aさんはどんな字を書くのかな。 良寛みたいな字なのかな。
人は、それぞれ何か光るものを抱えているなぁと思う。 そういう人の話を聞いたり顔を見たりするのは 本当に楽しい。 私の友人達もそれぞれみんなきらりとするものを持っている。 すぐそばの人も、離れた人たちも。 だから、みんな私の誇り。
昨日の夜からどうも調子が悪い。 寒気と頭痛。のども痛い。 これはヤバイ前兆、と、 母手作りのかりん酒にお湯をそそぐ。 蜂蜜にレモン汁をちょっぴりたらす。 ほっこり温まったらお布団へ。 寝ながら頭蓋骨のマッサージをする。 ものすごい痛み。 私の上半身はなんだか前に比べて筋肉質になったような気がする。 首や腕は、大学でも家でも常に私の頭と目玉を必死に支えてくれている。 毎日読むか書くかパソコンを打つか。 私も私の身体も 「もういやだよー」と泣いている。
そうだよね、ここ数年、オーバーワークだものね。 私の脳くんはもともとお勉強向きに出来ていないのに、 毎日お勉強ばかりを強いられているのだから。 しかもたった4年かそこらしか使っていない言葉で。 大学への往復の道で動かす身体も、 いつも本やノートでずっしりとしたかばんを抱えてよろよろと、 自由な動きとは程遠い。
Mさんと別れてからの帰り道、 イル・ド・ヴェルサイユに寄り道。 夜の7時半、日差しの合間を空はほんの少し夜の色を見せる。 木と土の匂いに身体が喜んでいるのがわかる。 竹やぶの凛とした空気。
Mさん、私は早朝歩く会を始めようと思います。
ジズゥを前にしては、中国もやりづらかっただろうなぁ。あの美しき足技がもう見られなくなると思うと残念。人間国宝です。
それにしても、試合開始からわずかな時間で足をぐにぇっとやってしまったシーさん。 タンカで運ばれる姿は打ち揚げられた新種のアザラシのようだった・・・。 あの刺青がうねる鬼神のようなボディに立ち向かわなければならないはずだった各国の選手はホッとしているかもしれない。
解説の人が思いっきり「韓国チーム」と言っていました。 その間違いは黄カードものです。 マクベスその②を書こうと思いましたが、パスカルとヴォルテールにちょっと用事ができてしまったので、そのうちまた。
マクベスを一度も面白い芝居だと思ったことはなかった。
ハムレットやオフェリアは演じてもいいと思ったが、 マクベスに興味はなく、 ましてやマクベス夫人なんて断じて望まない。
ところが、どうもマクベスとは縁があるらしく、 去年、大学1年のracines culturellesの中で取り上げられたシェイクスピア作品はマクベス。 そして、今年2年で取った文学とシネマの題材は「マクベスの比較」。 オーソン・ウェルズの「Macbeth」と黒澤明の「蜘蛛巣城」。
最初にBritish Broadcasting Companyの「正統派」版を見たけれど、「あ、あんたがマクベスさんでっか・・・」とうなるような、 泣く子も黙る、ながー い顔をされた俳優さんだったんで、始まったとたんいきなりガッツを60パーセント奪われてしまいました・・・。
演じられている「マクベス」のつまらない理由は色々あるけど、 「マクベス」は夫婦の話のはずなのに、巷で演じられているものの多くはそういう風に見えないというのが一番大きい。 マクベスとマクベス夫人は一蓮托生でもなんでもなく、それぞれが勝手に狂って行くようで寂しい。
そして、常に引っかかるのがマクベス夫人。 このキャラクターは書かれているせりふをただ読んだだけでも変人なので、生の人間が演じると誰も近づけない人になってしまってちっとも情がわかない。こんなコワイ女が趣味なのか、マクベスは?と、マクベスにも情が薄くなってくる。
面長のマクベスは一人悩み、奥さんは一人叫び笑い不気味なテンションで突っ走り、観客としてはひどい顔のアクターばかりが揃い踏みなので、唯一何とか見栄えのするマクダフばかりを追いかけたくなる。 ブリティッシュ・ブロードキャスティング・カンパニーにはもうちょっとマシな顔の役者が居ないのだろうか。
オーソン・ウェルズは、決して「いい男」の顔ではない。
あれは、紙一重フェイスだ。貴人と奇人を紙一重で分かつマニアックな顔。天才は大体そういう顔をしている。
普通の人が自らを「いけてる」と表明するととたんにいけてなくなってしまうもんだけれど、天才はナルシストと相場が決まっていて、そのナルっぷりにはなぜか納得させられてしまう。 イケメンでないがウェルズのマクベスは妙な色気がある。 影の効果で、ひょっとしてこの男はかっこええのではないだろうかとうっかり思ってしまう。どうやったら自分がかっこよく映るか、知り尽くしているんだろう。10歳のときからの演劇キャリアで、自分の鼻の格好が納得いかずにメイクで研究してただけある。
ウェルズはインタビューで「シェイクスピア悲劇の主人公はみんな "salaud" (糞野郎)」だと楽しげに話す。
...C'est un homme détestable jusqu'à ce qu'il devienne roi, et, une fois couronné, il est fichu ; mais, dès qu'il est fichu, il devient un grand homme.
この男は王になるまで本当に嫌なやつなんだよ、で、冠を頂いたとたん、やつは終わってるからね。だけど、終わっちゃった瞬間、彼は偉大なる男になるんだ。
バザンとのインタビューより抜粋 1958年
言い得て妙なるマクベス像。
ウェルズのマクベスが、「偉大なる男」になる瞬間がある。 それは、思わず「あっ」と言ってしまう一瞬のクローズアップなんだけれど、それまで卑怯者の"salaud"であったマクベスが、ビルナムの森が動いたという通報を受けたとき、自ら「fichu(終わってる)」と悟ったのがわかる。 この男、全責任を取る気になったな、というのがはっきり伝わる。 だから「終わってる」けど「偉大」になれる。
自分の上司であったダンカン王、友人バンクォーを殺し、さらには女子供(マクダフ夫人とその子供)にまで手を出す鬼畜さ、それらの罪を人に擦り付け逃げられるだけ逃げ回るものの、自らの罪の意識につぶされるsalaudを極めるマクベスなんだけれど、その人がつぶやく
「あした、そしてまたあした、そしてまたあした・・・」
という声は耳にも心にも残る。 続きはまたあした。
喧嘩、戦争、テロ、言い争い、決闘、自殺、エトセトラ。を、全て生クリームケーキのぶつけ合いにしたらいいのではないか。
絶対、争う気をなくす。
マジでぶつけても、お互い白い髭の顔を見たら、笑わずにはいられない。
会社で上司に切れて、「部長、失礼します!」と生クリームを顔に投げつける。
ニュース
「本日ガザで大量の生クリームを積んだ車が路上で無差別の生クリーム攻撃を行い、路上は淡雪のごとく白色で埋め尽くされました。」
「サッカーワールドカップ会場で、審判のジャッジに不服を訴えるために全裸の男が両手に生クリームのタルトを抱えてフィールドに乱入し、一時試合は中断されました。」
派出所には 「本日の事故・死亡」のボードの下に新たに「生クリーム」という項目が付け加えられる。もちろん、常備の生クリームが派出所の冷蔵庫には置かれている。
昨日の弁当がまずいと妻にうっかり言ってしまった。 今日弁当箱を開けたら生クリームだった。 隣の田山君に「おっ、先輩、奥さんですか?宣戦布告っすね!」と冷やかされる。 売られたけんかは買うぞ俺は。 今日は妻の好きなショートケーキを買って帰ろう。
ふられた。試験に失敗した。親はちっとも気持ちをわかってくれない。 あたしは何のために生きているの? 能力も魅力もない。特技もない。周りはみんな楽しそうなのに。 友達もいない。 あの人のそばで生きられないなんて、この先生きている意味がない。 もう、生きているのが嫌だ。 生クリームを買ってきて、一人、あわ立てた。 ゆっくりタルトに塗りたくる。 タルトを持ち上げ、目をつぶると、 自分の顔に押し付けた。
ここまでやっているうちに、馬鹿馬鹿しくはならないだろうか。 生クリームまみれの自分の顔を見て、 笑ってもう一度やり直すか、と思えはしないだろうか。
。。。。。。。。。。。。。。 「食べ物を粗末にするな!」という投書が必ず現れそうだし、乳製品の値が高騰しそうだけれど、武器作る金と暇があるならできないことはないんじゃないか。
目的は「ストレスを開放して相手を攻撃する気を失くす」。
それには、やはりビジュアル的に非常に間抜けな要素が必要だ。
怒り、というのは不安から出来上がっている。 自分の価値観通りに相手・世界が動かないというイライラは、 「己が罷り通らないという不安」に根ざしている。 不安だから攻撃し、攻撃されるから不安になる。 それを消化させるには、攻撃していることがあほらしくなるという状況が必要だ。 プロバイダー「ワナドゥ」がフランステレコムに完全統合されてオランジ(橙)という名前に変わった。元のままのアドレスを続行できるけど、どっかで漏らされたらしくて毎日英語のスパムがうるさかった。自分の脳内麻薬だけでも十分ラリって困っているのに、余計なヤクはいらん。 この際だからアドレスを変更して、ついでにオランジのナビゲーターをダウンロードした。 見事に失敗して、接続環境もろともおしゃかに。
原因はOrange側のいい加減なシステムがWindowsにブロックされたか、もともと欠陥があったか、とにかく、半歩踏み出したら5歩下がってしまった。朝9時ごろボカンとやられ、復旧したのは午後3時・・・ 現在一番古いシステムで稼動。
フランステレコムにはネット関係で毎度多大なる迷惑をこうむってきて、 本来なら必要のない苦労や騒ぎのはてに
「C'est la vie」
(「それも人生さ!」というフレンチ常套句。このひとことを肩をすくめて言われると、首をしめたくなる)
で話をまとめられたりするので、そのたびに黒い憎悪が沸き起こっていた。 そんなやり場のない苛立ちを浄化する方法を考えていましたが、 この生クリーム攻撃は、本当に効きます。
考えてるだけであほらしくなってきたので、フランステレコムに復讐するのは今回は見逃してやろうと思いました。 今後、イライラしたら生クリームをぶつけることを考えて憂さ晴らしをしようと思います。皆さんも、日ごろの鬱憤は生クリームで。