EXTENSION 58のリーダー、鈴木 恵さんが新バンド「鈴木恵&OUR SWEET COMBO.」を結成!suzukisatoshi official web site 本日ジャンクミニでライブがあります。 鈴木恵(g,vo)、青木宏美(ds)、クニタケタカオ(b) ◆新潟公演 2010年03月30日(火)新潟・JUNKBOXmini ■出演 [LIVE] HOLIDAYS OF SEVENTEEN /鈴木恵&OUR SWEET COMBO、/Family/Square [DJ] DJ/HIROMI ENDO(COLOUR SCENE)/EGUCHI(COLOUR SCENE) ■料金 前売/2,000円 e-cor が通常営業だったら間違いなく行っていたんですが・・・今、稼働率450%位で、そのカオスぶりたるや、 さっきから e-cor をどうしても d-cor と打ってしまう位です。 これに懲りずにまた誘ってくださーい! ちなみに10日は青木さんを見に、17日はエクステを見に参ります。
A la recherche de la catharsis
「明日・・・明日・・・明日・・・」という台詞、なんだったけな。「オセロー」か。違った、「マクベス」だ。 昨日、何をやっていただろう。 一昨日は さきおとついは 多分、ご飯食べて、フランス語を教えて、いくつかの問い合わせメールに返信して、携帯メールで「おはよう」「おつかれ」「おやすみ」、後はすべて「ハムレット」だった。 村上春樹の「カンガルー日和」を読んだ。五木×野坂「対論」はまだ途中。 車の中でLa Grande Sophie の「Le roi des tourbillons」を歌う。 先週末は? 「シャーロック・ホームズ」を見たんだっけ。いやいや、それはその前の週。 「石の微笑」は?先週だったっけ。 ・・・先週も、やっぱり「ハムレット」だった。 「ハムレットやるか、ハムレットしないか」それが問題だった。 字幕の締め切りまでもう時間がない。 この間テレビで、「脳科学的に、ストレス発散に効くのは感動の涙を流すこと」だというのをやっていて、 そういえば数年前に古代ギリシャ・ローマ悲劇の授業で、アリストテレスの「Poétique」に書かれていたっけな・・・と今日ヨーガに行ったときに思い出す。 「カタルシスだね」と、Aさんがすぐさま答える。 悲劇をあまり好んで見ないできた私は、はっきり言ってこの授業を受けても「悲劇って人間にとって必要なのか?なんでストレスの多い時代にわざわざ好き好んで主人公が痛い目に合うのがわかり切っているストーリーを我慢しなくちゃいけないんだ」と思っていた。 あっはっはって笑ってストレスかいしょ~というのはわかりやすい。ぜんまいざむらいの「必笑 だんごけん、うけてみよ~」で人々はハッピーになるではないですか。 でも、泣いた方が効果が高い。 乏しい記憶を辿ると、確かにすっきりしたような気がする。 なるほど、そういうことだったのか悲劇効果って。アリストテレスが言っていることはもっと高尚な世界のことだと思っていたけれど、意外に身近だったのね。 それでもやっぱり、「フランダースの犬」、「火垂るの墓」とか苦手・・・。かわいそすぎて見ていられない。 シェークスピア作品だってギリシャ悲劇並みにきちんとカタルシスが書かれているのだろうけど、字幕やっている今、むしろ締め切りに間に合わないかもしれないと泣いている。ストレス増。 だいたい、最後に感動して泣いたのっていつだっけ? つい最近「モンティ・パイソン・アンド・ナウ」DVDを貸してもらって、「バナナを持った人物に襲われた時の護身術」に涙を流して笑ったけど・・・ ・・・・。 「THIS IS IT」を見て泣いたのが最後かもしれない。 ちょっと方向性を変えて、泣けるやつを何か探してみようかな。 何かお勧めがあったらご指南下さい。 津波で住んでいるビルごと巻まで流されるという夢を見る位なので、何かこう、ざば~んとリセットしたい気分なんだな。
Une rencontre inattendu (思いがけない再会)
gobusata de gozai masu.予測はしていたんですが相変わらず甘い予測の仕方でした。 なんなんでしょうか、この雪だるま式の忙しさ・・・
そんな中、月曜日に新潟大学・19世紀学学会共催ミニシンポジウム「ヨーロッパ・半島・日本:新しい『文化学』の構築を目指して」を聴きに行ってまいりました。 パリのINALCO(フランス国立東洋語学文化大学)からパスカル・グリゴレ先生が来られて日本の大衆演劇について語られるというので、楽しみにしていました。 フランス人の先生から見た日本の旅芝居をする人たちのお話、日本各地の大衆演劇場についてのお話は本当に面白かったのですが、どこかでお会いしたことがあると思ったら、 4年程前、まだ私がナントに居た頃、パリに落語を見に行った時の、「やけにはっぴの似合う」すばらしい通訳をされた、その人だったのです。 後で「
先生、パリで落語の司会やっていましたね、はっぴ着て!!」
と聴いたら
「そうそう、君、見に来てたの!」
と驚かれていました。 こんなところで再会するとは、何かの縁ですなぁ。 あの時と変わらない、テンポのいいしゃべり口(もちろん日本語でプレゼンをされていました)のおかげで、長時間に及ぶシンポジウムのトリの発表だったにもかかわらず、会場の疲れはどこかに飛んでしまいました。 フランス人の前でフランス語や英語でプレゼンをするという修行を何度かやらされて来た私は、毎度「私の言葉は通じるだろうか?発音はおかしくないだろうか?」という恐怖に動転し、発表前にトイレの個室に篭ってヨーガの木のポーズをやったりしたものですが、今回全く逆の立場に居ることができて大きな収穫がありました。 ちょっと活用がおかしかったり、流暢でなかったり、言葉を度忘れしたりしても、発表者が「伝えよう」という気持ちや「楽しさ、喜び」を忘れなければ問題なしなんです。要は心意気。
「で、君はここの学生なの?」
と、先生に聞かれ、なぜか私は小さな声で
「イエ、4月からフランス語を教えるんです」
と答えると、「それじゃあ、パリに来ることがあったら遊びにいらっしゃい」と名刺(を切らしたのでコピーだったけれど)を渡して下さいました。あんまり気さくなんで、「こんちはー、遊びに来ました!」とオフィスを訪問するシーンを思い浮かべてしまいました。 それにしても、今後、幾度も「イエ、私は学生ではなくて、先生のほうなんですけど・・・」と言うことになりそうな予感がします。 なんとなく、まだ自分自身が様々な肩書きに翻弄されてばらばらになっているような、「déchiré(引き裂かれた)」気分で落ち着かないのです・・・