MON DERNIER WEEK-END 2010 (最後の週末)

土曜日クリスマスの尻尾を捕まえに出る。24時を回っているけれどガラスの靴を履いているわけではないので気にしない。「真夜中の配達」はなかなか気に入っている。ちょっとおしゃべりするとすぐ出発。「Jazz」が出た後に続こうとしたけれど、横から出てまったので先に信号を左折した。バックミラーにぬれてひかる置いてきぼりのこころ。

日曜日 Woodyにてライヴ。3バンドしか聞けず。あとの2つもなかなか良かったらしいから聞き逃して残念。いつものように18時頃スタートだと思っていたら、16時30分からだった。しかも、17時50分のバスを逃したのでバス停3つ分歩く。そのまま待っていたら凍え死んでいただろう寒さ。「ダメ人間」楽しかった。EXTENSION58の「Hello ! It's Me !」を「にゃーにゃーにゃー」で歌ったのはかわいかった。KENBORGAのDJも素敵でした。ORGAを聴けなくて残念。終わった後に、来年はちょっとお休みすると聞いて余計残念。

最近EXENSIONをライヴで聴くたびに「大人だなぁ」と思う。「成熟」という感じがする。風格のようなものも感じる。

ライヴ後Oで食事。店員さんはとても律儀な対応の人で、私の頼んだメニューを3回噛んで言い直してメニューを持って行ってしまったので結局正式な名称がなんだったのかわからず仕舞だった。けれど、スタンプをおまけしてくれたりしていい人だった。 食べてみたいものがたくさんあったので、また来ることになりそうだ。外に出ると水っぽい空気にずっしりとした雪。しんとする。

月曜日 決定。こうして物事は決められる。

火曜日 「期待を捨てること、それは思考を身体に落とすこと」とカミュは言う。それは絶望を意味するわけではない。実現の唯一の方法は「希望すること」を止めること。

今週の発見。Urban OutfittersのBDGシガレットデニムは病み付きになる履き心地だった。もう持っているデニムを全部これに変えたいくらい。 こうしてフランス語を日本語に翻訳してみると、フランス語のほうがニュアンスに満ちた文を書くことができると気づく。 ひとつのことばが2重3重の意味を含んでいて、厚みがある。

Le samedi 25 : Sortir pour attraper à peine le Noël. Déjà passé 24h mais qu’importe puisque je n'apportais pas les pantoufles en verre. J’aime cette « livraison de minuit ». On parlait un peu et se quittait. C’était son « Jazz » bleu qui est parti d’abord, toutefois j’étais la première à tourner à gauche au feu, laissant derrière mon cœur un peu mouillé.

Le dimanche 26 : Concert au Woody. Je ne pouvais écouter que 3 groupes, mais on me disait que les autres jouaient aussi bien. Dommage de les avoir ratés. Je croyais que ça commençait vers 18h comme d’hab, mais en fait c’était à partir de 16h30. En plus, j’ai raté le bus de 17h50, j’étais obligée de marcher jusqu'au troisième arrêt. Si j’avais attendu sans bouger au même endroit, j’aurais pu être complètement gelée. C’était chouette le groupe « Daméningen » (c’est comme si c’était allemand quand je l’écris en français). J’adore leur Hello ! It’s Me ! (reprise de celui d’EXTENSION58). C’était mignon avec « Nya-nya-nya ». Le DJ KENBORGA faisait aussi bien. C’était vraiment dommage qu’ORGA n'ait pas pu jouer, et je suis bien triste qu' ils s’arrêtent leurs activités l’année prochaine, c’est ce que K m’a dit après le concert. Cette nouvelle m’a donné un coup...

La musique d' EXTENSION arrive à maturité. Leur jeu a un air digne. On dînait chez O, c’était très sympa comme resto. Bien que la serveuse ne soit pas arrivée à prononcer bien le nom du plat que je commandais (c’était un nom très long et compliqué), elle était très très gentille. En attendant, on regardait le menu et on était bien d’accord de revenir pour essayer des autres plats. Dehors, l’air hydratant, des flocons nous privaient de mots.

Le lundi 27 : Opération fixée. Ainsi, on décide des choses.

Le mardi 28 : Réflexion sans partir de moi. « Supprimer l’espérance, dit Camus, c’est ramener la pensée au corps. » Et c’est au loin du désespoir. Le seul moyen de réaliser : s'arrêter d'espérer.

Découverte de cette semaine : J'adore "BDG Cigarette Jean" chez Urban Outfitters, si bien que j'ai envie de remplacer tous mes pantalons par celui-là.

L'âge de déraison (無分別ざかり)

En ce moment, mon cerveau français commence à faner, et d’ailleurs une question me tracasse depuis toujours : quelle est ma passion sur la langue française ? Voici la crise entre moi et le français. Donc je commence ce journal français qui pourrait me secouer un peu. Je sais que ce n’est pas raisonnable en tant qu’enseignante de français, car, écrire me fait toujours hontes qui s’appelle « fautes » : fautes d’orthographe, d’expression, de grammaire, en somme, de français. Pourtant j’ai un mot magique qui efface tout : « je m’en fous ». Ce n’est pas que je m’en fous de mes fautes que je commets, mais que de la honte dont j’éprouverai. Autrefois, Sartre a écrit L’âge de raison. Je dirai plutôt : je suis en âge de déraison qui me pousse à rédiger candidement des articles en français.

以下は上記の「超訳」と思ってください。ところで、最近「超訳」って言葉をとんと見かけなくなりました。

ここのところ、とある毎に生徒さんたちに聞いて、嫌がられたりしている。

「なぜフランス語を勉強するのですか?」

最近、わたしのフランス語脳が腐ってきている。どうも、脳内フランス語部が怠け気味で、ホワイトボードに書く時に突然綴りがあやふやになったり、名詞の性が怪しくなったりすることが多くなった。フランス語を始めてから8年が過ぎ、最初の熱意ではどうにもコントロールしきれない程えらくふんぞり返るようになったのだ。実際、間違いを指摘されたり恥ずかしい目に遭えば、その時は反省するものの、猿のようにきれいさっぱり忘れてしまう。うきき。 そんな腐仏脳を有しておるのはゆゆしき問題で、なんで腐ってしまったのかとつらつら考えた。そして、思い浮かんだのが「情熱」という言葉。フランス語で言うところのパッスィオン(Passion)。 こんなめんどくさい言語を、日常的に使わなければならないというような必要に迫られた動機以外で学習し続けている方々は、いったいどんな情熱を燃やし続けているのだろう? 難しい質問だと思う。

この「モチヴェーション」、「好きの力」という熱のようなものがないと、ちょっと壁につきあたれば諦めてしまう。過去にやった習い事、水泳、習字、ピアノ、インド舞踊などなどを思い出すと、金銭的、健康的、家庭的、その他の事情などを考慮しても、やはり途中でやめてしまったものは結局本当はそこまで「好き」ではなかったのだと言える。「好き」かどうかよくわからなかったものもある。 ただ、この「動機」というやつは、別に最初からずっと同じである必要はない。もちろん最初の気持ちをずっと温め続けられるに越したことはないけれど、その時々で変わっていいし、最初は不純な動機でもいいのだ。 もっとうまく話せるようになりたい、もっと自由に言葉を扱えるようになりたい、という気持ちがずっとわたしの学習意欲をひっぱってきたし、フランス語の持つ表現の難解さの中にちらちらと見える面白さに夢中になった。けれど、ある程度わかり易い形でまあまあ征服したというような落ち着きを得た時、今度は如何にほころびが見えないようにするかに腐心することになる。職業柄、というのもあるのかもしれない。

ブログに「フランス語とわたし」なんつうサブタイトルを掲げておきながら、今のわたしにとってのフランス語に対する情熱とはなんぞや?長年連れ添った夫婦みたいになってやせんか?「空気のような存在」などと言いながら、ふてぶてしくおならぷーしても平気みたいになってやしませんですか?ということをふと、感じた。 こんなことではいかんので、一番イタイ方法に敢えて出ることにした。いわゆる「上達のためのフランス語日記」。おおう、恥ずかしい。けれど、まあこういうしょっぱいこともしながら人は大人になっていくわけで、そうやって恥ずかしい目にあっている内にそれなりにフランス語筋肉が鍛えられてなんかナイスバディになってしまわないかな~と血迷った怠け者的発想のもと、狂気的な厚顔さで始めようと思います。 L'âge de raison 「分別ざかり」はジャン=ポール・サルトルの小説Les chemins de la liberté「自由への道」第1部のタイトル。

Moi, barbare. (おいら、野蛮人)

 L'Empire du "signe"

先週の金曜日に、ボルドーIII大学のジェローム・ロジェ先生が新潟大学で「声の破片ーアンリ・ミショー『アジアにおける一野蛮人』あるいは自己自身にあらがう旅」という演題で講演されたので聴きに行ってきた。わたしのような門外漢にも気軽に「いらっしゃい」とお声掛けくださるT先生、ありがとうございます。 ミショーについてたいした知識もないままぼんやりと出かけて行ったけれど、2時間に及ぶエクスポゼは面白かった。ただ本を読んでみたり、先行するイメージや先入観にとらわれているだけでは、わからないことがたくさんある。行ってなければ、わたしの中でアンリ・ミショーという作家は「アートを追求するためにヤクでキメキメになったヤバイおっさん」で終わるところだった。

フランス語で講義を聴くとつい癖でノートを取ってしまうのだが、現役の学生という立場から解放されてみると改めて「型」の凄さを感じる。 どの分野であろうと、フランス人は学生時代に徹底的にエクスポゼの「型」というものを仕込まれる。だから、人前で話す時、話すほうも聞く方も安心感がある。教育は社会で役にたつぞなもし。

まずはイントロダクションで、話すテーマについて「開く」。

それからどういう順番で何を説明するのかの流れを「アナウンス」する。

ここで、聞き手が「お、ちょっと面白そうだな」という「餌」をまくべし。と、耳にタコができるほど教わった。

ロジェ先生はタイトルに使った「éclat(破片)」という言葉を「声、音(弾ける声、大声)」や「目(の輝き)」の例で定義するところから始めると、 I. Voyage en inconnu (「他者」としての旅行) II. Pédagogue de l'altérité (他者性の教育者) III. Derrière barbare (「野蛮人」の後ろにあるもの) IV. L'écriture d'éclats (破片のエクリチュール) という章に分けて最後に結論を話した。

ミショーは1931年にマルセイユを出発し、インド、中国、日本、マレーシア、インドネシアなどアジアを旅行してこの作品を書くのだけれど、ただの「旅行記」というジャンルに収まり切らない「声の破片」を集めたものになっているそうだ。根底に哲学があり、文体はラ・ロシュフーコーの箴言のようだったり、ラ・フォンテーヌ「ファーブル」のようだったり、散文詩だったりして、それが最終的にはあの不思議な文字絵のようなものに繋がっていくのだとわかった。 とにかく、始まりはその頃盛んだった「気取り屋たちが書いてきた旅行記」、いわゆる白人による白人のための「オデュッセイア」としての旅行記ではない、「自己」という認識をリセットした、「誰でもない人」として世界を色眼鏡なしに見てみようという試みだった。アジア人の生活を「ま、なんて野蛮な!」という上から目線でレポートするのではなく、自分自身がアジア人から見れば「一野蛮人」なのだ、という「逆転」の認識を持ち、ニュートラルな観察眼で眺めようとした。 未知の言葉の中では一種独特の浮揚感があり、自分が透明になってしまったように感じた経験が私にもある。ミショーはそんな中で、その外国語に擦り寄るのでもなく、母国語にしがみつくのでもない表現方法を探し続ける。自分から自分をひっぺがすような「他者性」というものを探るうち、文体は三人称「彼」で語られるようになる。 彼があの独特のシナプスのような人が踊っているようなデッサンを始めるきっかけになったのが、日本でたまたま女の子と筆談ならぬ画談をしたことだった。少女はどこから来たの、とか、どんな船に乗ったの、何日ぐらいここにいるの、という質問を絵に書き、ミショーに鉛筆を渡して返事をさせる。この体験が「コミュニケーションは言葉の中にしかない」というイデオロギーからの逸脱の瞬間になった。

Né, élevé, instruit dans un milieu et une culture uniquement du "verbal" je peins pour me déconditionner. (音声言語のみの環境、文化で、私は生を受け、育ち、学んだ。こうした条件、制約から身を剥がすために、私は絵を描くのである。)

Emergences- Résurgences, p.9

Signes pour retrouver le don des langues. La sienne au moins que, sinon soi, qui la parlera ?(言葉の恵みを再発見させるための記号。自分の言葉、少なくとも、自分でなければ、だれがこの言葉を語るのか?)

"Mouvements", in Face aux verrous, 1951 p.19

この話を聞いて思い出すのがダニエル・ペナックの文字人間。アプローチも目的も全く違うのだけれど、共に文字の向こうに自由を求めていた。 漢字はもともと表意文字だから覚え易くて、アルファベットはただの記号の羅列だから無機質で覚えにくい、などと思っていたけれど、こうしてみると文字の向こうにあるものはアルファベットも漢字も同じなんじゃないかという気がした。

ところで、講義室が泣く子も黙る超乾燥地帯で、水分を取り損ねたため、講義が終わる頃に顔面が鼻を中心に真っ赤に腫れ上がっていた。野蛮人さながらの形相で翌日土曜日のアトリエに向かい、参加者さんはさぞ不快だったことでしょう。ごめんなさい。今はもう、赤鼻のトナカイ位に治まっています。暗い夜道などには、ぴかぴかのおいらのハナが役に立つかもしれません。 引用部分は共にロジェ先生の講演で配られた資料によるものです。