Avec un GRAND RETARD , je vous souhaite sincèrement, mes chers internautes, que cette année soit merveilleuse, riche d'amour et de bonheur !
年末年始を振り返る。
時のスピードはいつになく猛烈で、子どもたち(夫君のお兄さん一家が帰省した)に遊び倒され(まだ体力が慣れていない)、来年度のシラバス作成(教科書の選定と打ち合わせ)→今年度の学期末試験作成→試験対策のプリントと、気が付いたら2月だった(国境の長いトンネルを抜けると雪国であった)。
年末年始に見た映画:
「二人のヌーベルバーグ」「タンタンの冒険★ユニコーン号の秘密★」
「UPSIDE DOWN クリエイションレコーズ・ストーリー」
今年はやっとシネ・ウインドの会員になった。グレン・グールドを観に行くか考え中。ジュリー特集は観に行く予定。今週号のLesinRockuptibles(購読している)に「シャーロック・ホームズ2」の公開情報が出ていたので、楽しみ。
「二人のヌーベルバーグ」を観て、二人(トリュフォーとゴダール)の間で揺れ、生き続けたジャン=ピエール・レオーが好きになった。彼はエキセントリック過ぎるので、どちらかといえばジャン=クロード・ブリアリの方が好きだったのだけれど、最近いわゆる「アントワーヌ・ドワネルもの(「大人は判ってくれない」から始まるシリーズ)」を改めて見直してみて、どうにもならないだだっ子の魂を抱えて途方に暮れている感じがとてもすてきだと思った。
「タンタン」は吹き替え版で観る。字幕にしようか迷ったのだけれど、英語だとタンタンは「ティンティン」と発音されるので、2時間チンチン連呼はきついと思いやめた。生徒のKさんが、私がまだ読んだことのなかった「Le sceptre d'Ottokar」を貸してくれたので読む。面白かったけれど、やっぱりアドック船長が出てくる話が好き。「ほんとどうしようもない男」が好きなのである。
年末に高校からの親友と会い、結婚にまつわる昼ドラのような話を相談され、女の仕様がない(親友のことではない)のは見ていてうんざりするけれど、男の仕様がないのはどこか可愛げがあることが多いのかもしれない、と思った。
雪道を掻き分けての通勤は周囲に心配されつつ今のところ無事に家までたどり着いている。クラヴィアは若くはないけれど、辛抱強い。この間、エンジンオイルの交換ついでにちょい高めのバッテリーに変えて貰った。
一昨日、雪の合間を見て夕ご飯の買い物に近所のスーパーに歩いて行った。牛蒡を買ったので、スーパーを出る時に袋から飛び出た黒い鞭のような姿を見て、落としそうだな、とぼんやり思った。帰って来て、冷蔵庫に買って来たものをしまう時になって、牛蒡がないことに気づいた。玄関の外まで探したけれどなかったので、途中で落として来たらしい。真っ白な雪道に牛蒡(98円)が倒れている姿は哀愁がある。
という話を、実家の母にしたら、母の牛蒡にまつわる話はもっと凄まじいものだった。
やはり一昨日、母も買い物に行って牛蒡を買った。柳のようにしなる程長いものだったのでかごから飛び出てゆらゆらしていた。レジで袋に詰めて、持って帰ろうと振り向いたら、前に中年の夫婦がいて、よけようとした時に母の牛蒡の先端が夫婦のおじさんの方の足の間にゆらりと入ってしまい、おじさんの股ぐらから牛蒡がにょっきりと出てしまったそうだ。 おじさんも、スーパーでまさか牛蒡が股から飛び出して来るとは思っておらず「おっ」とか言うしかなくて、母はもう今にも吹き出しそうだったのだが、笑うわけにも行かず、泣きそうな顔で「スミマセン」と行って逃げるように店を出て、笑いながら家に帰ったそうだ。
更に、やや、びろうな話。日曜日に伊勢丹の沖縄展にソーキソバを食べに行った。トイレに行ったら洋式が塞がっていたので和式の方に入った。便器の前側に、「手をかざすと流れます」というセンサーが厳かに立っている。用を足して、紙を使おうとやや前屈みになったら丁度おでこがセンサーの真上に来て、下でジャーと便器の水が流れた。 「トイレのセンサーは手だけじゃなく、おでこをかざしても反応するのか!」という驚愕と同時に、「おでこでトイレを流す自分」を客観的に想像してしまったら、もう笑いのたががはずれて、それからずっと個室で「だめだ」「たまらん」と笑い続けた。隣の人はさぞかし不気味だっただろう。
ここのところ、ぼーっとしていて、車のドアでこめかみをぶって目を腫らしたりしていて、「なんか最近ぼーっとしてるから、気をつけなきゃ」と、夕飯の時に言ったら、夫君は「俺が知る限り、まりはいつもぼーっとしてるけどねえ。」と考え考え言った。 「忙しそう」とか「しっかりしている」とか、恥ずかしながらそう言って貰えることはあったけれど、「ぼーっとしている」と言われたことは生まれてこのかた初めてだった上に、比較的いつもぼーっとしている印象の人にそう指摘されて衝撃的だった。彼が見ているのは、考えてみれば、朝の寝起きでぼーっとしながらおにぎりを握っていたり、夜ぼーっとしながら歯を磨いていたり、週末は「いま、おなかが減っているから眠くなってなにも考えられない」とか言っている姿ばかりで、私が腕まくりでばりばり仕事をしている姿など想像できるはずもないのであった。 サルコジ大統領とクリス松村は区別がつかない、とラジオで言っていた。 そんなわけで、今年もよろしくお願いします。