パリへ。「やっとこさ」という感じで新婚旅行に繰り出す。
と言っても、出発前の一週間は、新しい生徒さんが立て続けに体験に来られたりしてバタバタしており、夫君は会社で泣く子も黙る「新婚旅行」カードを切った為に、その埋め合わせで連日遅くまで仕事。なんとか行き帰りの航空券とホテルは取ったものの、その後の予定は機上で建てることに。こんなテンションでいいのだろうか。
フランス語ができて、パリも何度か行っているから心配ないねと、周りは口を揃えるのだけれど、私はスリに合うのではないかと、今までにない胸騒ぎのようなものがあった。大抵、初心者より慣れているひとの方がなんらかの痛い目に合うものだ。
CDG空港に着いて、RER(郊外線)に乗る切符を買うのに自動販売機を使っていたら、早速「北駅まで行きたいんだけど、買い方教えてくんない?」と声をかけられる。背が高く、丸い頭に残る白髪もいよいよ寂しい、といった感じの眼鏡をかけたおじさんで、どうやらフランス人のよう。肩の大きなショルダーバッグが重くてピサの斜塔のように身体が斜めになっている。
毎度思うのだけれど、これだけうじゃうじゃ人がいるのに、なぜフランス人はやたらと私に道を聞いたり、時間を聞いたりするのだろう。
ところで、これはなにも私が特別教えたがりオーラを出しているからではなくて、フランスにいる外国人は結構な率でフランス人からものを尋ねられるらしい。語学学校にいた時に、イギリス人のクラスメイトがディスカッションの話題にした時には、東西問わず、様々な人種の学生達がみんな我も我もと体験談を披露した。平均的日本人感覚からすれば、どう考えても見かけ「ガイジン」な人に道案内を請おうという気にはならないのだけれど、フランス人はその辺(だけに関わらず、全てにおいて)かなり無頓着なのだ。
おじさんに自販機の画面を操作して買い方を教えたのだけれど、ますますパニック(フランス人のおっさんは機械に滅法弱いひとが多い)した彼は、「お金を渡すから代わりに買ってくれ」と言い出した。むとんちゃく・・・
画面の行き先には「パリ(市内)」という欄しかなくて(RERだとパリ市内はどこで降りても均一なので)「これですよ」と言っても「いや、僕は北駅までの切符が欲しいんだよ」とごねる。いやいや、これしかないんだよ、いや北駅が、と、押し問答の上、あまりにもわからずやなことを言うので、さすがの私もとうとう
「Ecoutez monsieur, vous allez au guichet, là ! (あのね、おじさん、窓口に行ってくださいよ、向こう!)」
と、切れてしまいまいました。三条暮らしで培ったにわかふやふや性格も、パリに降り立ち僅か10分で簡単にメッキが剥がれ、アグレッシブな本性を見事に露呈。フランス語にスイッチが入ると、3割増きつくなる気がする。言語学及び形而上学上、避けられないことなのかもしれない(無頓着な解釈)。後で夫君がにやにやしているのがわかる。
おじさんは、「あ、窓口あったの、あ、そ。なーんだ。ありがとね。」と、まるでへこたれた様子もなく、そそくさと窓口へ向かった。 フランス人はなぜ、わざわざ外国人にものを尋ねて、それなのにその言うことを信用しないのだろう。
パリに着いたのは22:00過ぎ。ホテルはソルボンヌのすぐ裏手にあって、サン・ミッシェルとかオデオンの駅にわりと近くて動き易く、スーツケースを持って移動をする初日と最終日がとても楽だった(サン・ミッシェルからダイレクトでCDGまで行ける)。 今はコンビニみたいなモノップがあったりするので、結構遅くまで人が歩いている。フランスに来たのは4年ぶりになるのだけれど、あまり懐かしさが湧かない。つい、昨日までここにいたような、しごく当たり前のような気がして、不思議な気分になる。パリに住んでたら、また違ったのかもしれない。ナントに行きたくなった。
翌朝、事前に決めていたように、おいしいと教えて貰ったパン屋さんを探しに行く。道案内は、職業柄、地図に強い夫君に放任。子どもの頃、父がパリに単身で住んでいたことがあって、私と母は夏休みに一ヶ月ほど彼の所に滞在した。朝、父と一緒によく近所にバゲットを買いに出かけた。その頃はまだパン屋さんのバゲットも1本が100円しない位の安さだった。帰り道、焼きたての香りに抗えずに少しずつちぎって食べ、結局家に着くと半分なくなっていることがほとんどだった。
フランスのパン屋さんでは、日本のようにトングで好きなものを持って行ってお金を払うなんてことを許してくれず、パンは、ひかえおろう、と言わんばかりにガラスケースの内側や、カウンターの後に整列している。客たちはカウンターに並んで順番を待ち、きびきび動く店員さんに「あれを1個、これを1個」と、注文する。つまり、必ず店員さんと話さないと買えないようになっている。しかも、食事時は店の外まで列ができているので、悩んでいる暇を与えてもらえない(驚く程みんなイラチである)。ちょっと躊躇すると、「あれはどう?これは?」とお勧めしてくれるのは良い方で、だいたいは飛ばされて後のお客さんに注文を聞き始める。あのスピード感は経験者でも戸惑う位だから、初心者は苦労するわな、と改めて思った。 エリック・カイザールのおばさんは非常におっかなかったけれど、ショソン・オ・ポム(リンゴのパイ)は本当においしかった。
よく、外国人が「日本に来て一番びっくりしたことは?」と聞かれて「歩行者が横断歩道で赤信号だときちんと止まること」と答える。フランスでも、歩行者が赤信号で律儀に止まっていると「頭かお腹の具合でも悪いのか?」と思われてしまう位で、パリジャンは横断歩道があったら、信号ではなく、車が来る方を見る。車が近くまで来ている時は、運転手の呼吸を計る。この人は止まってくれるひとか、意地悪にスピードをあげるひとか、という見極めも大切。「通してね!渡るからね!轢かないでよね!轢くと色々面倒だからね、外国人だし!」という気のようなオーラのようなものを出して、車を止める。 ひとつひとつ、そういう摩擦がある国だった、と、初めて気が付いた。横断歩道ひとつ渡るにも、パンを1個買うにも、人と「コミュニケーション」しなければならない国。日本にいると、知らず知らず、どんどん人との接触を避けるようになっている、無菌室に追いやられているみたいに。コンビニの棚から好きなものを取って、黙ってお金を出せば、ものが買えるのだ。レジで、本気で「こんにちは」なんて挨拶しようものなら、あっという間に「変わった人」(もしくはナンパ目的)、下手をすると「要警戒人物」になってしまう。
旅行の前にラジオで聞いた「海外ニート」の話を思いだした。わざわざ海外に行って引きこもりになる日本人たち。そんなつもりなくても、無菌室からいきなりここにくれば、パリ症候群になるよな、そりゃ。人と関わるというのは、タフでなければできないのだもの。
しかし、パリの人は、あまりにも外国人だらけで嫌気がさしている人が多く、レジ係なんかはもう投げやりで口先だけの上辺コミュニケーションしか取らない人が多くなった。これじゃ、日本とそう変わらない。居心地が悪い。
私がフランス語を教えるとき、経験上、「さようなら」は「Au revoir」より「Bonne journée(よい一日を)」と言ってきたのだけれど、今のパリのお店ではそれが通用しなくて、「Merci, au revoir」ばかり使っていたのに気づいた。それだけ、やりとりが忙しなくて
「よい一日をね!(Bonne journée !) 」 「ありがとう、あなたもね!(Merci, à vous aussi !)」
という数秒の言葉さえもカットされてしまう。その僅かなあそびというか間のようなものの中にある人間らしさのようなものの首をばっさりギロチンで切り落として、コミュニケーションは空虚な音の羅列だけで意味のない、記号のおばけみたいになってしまった。奇形の生物を見ているみたい。やっぱり、居心地が悪い。 新学期、別れ際の挨拶は「Au revoir」ですよ、と教えるべきか(まあ、教えるけど)・・・。「よい一日を」と言える人になって欲しいしなぁ。Au revoirって、だいたいから発音が難しいんだ、初心者には。 (つづく)