夜のサクレ・クールは神秘的。
「オ・トン・プル・モワ」という言い回しがあります。
間違えた時に、「まった、今のなし!」「ごめん、間違えた!」という意味なのですが、初めて出会ったのは語学学校時代。
しかし、その時からずっと
autant pour moi !
だと思っていたのです。それにしては辞書でautantを引いても意味が出てこないので、おかしいなぁと思っていたのです。
思っていたまま、6年が過ぎてしまったのです・・・。
メール頻度の高い言葉ではなかったので、幸い(というか不幸にも)誰にも指摘されなかったのですが、先日ナントに行った時に買ったLe français est un jeu (「フランス語はゲーム」)のお陰で正確な表記を知ることになったのです。
この本はフランス語の綴りや表現の中で、いわゆる「ひっかけ」の部類に入る間違えやすいものを選択肢から選ぶというもので、私はいきなり2問目に出てきた上記の問題でやられたわけです。これがミリオネアだったら、300ユーロで終わってた・・・
正しくは、Au temps pour moi。
これはもともと軍隊用語でAu temps ! (もとい) から来ていて、直訳すると「(私のために)時間よ戻れ!」というニュアンスがちょっと魔法使いチック(?!)。
しかし、フランス人でもAutant pour moiだと思っている人が多いからこういう本で取り上げられるわけで、語学学校の先生がひょっとして間違えて黒板に書いていたかもしれないよな~と、責任転嫁。
Au temps pour moi ! と叫びたくなることは沢山してきたのですが、その言葉を口に出していた瞬間自体も「まった、今のなし!」と言わなければならなかったというのは、コルネイユIllusion comique(幻影喜劇)の世界を実体験かも~
でも早く言えば、恥の上塗りなんだけどね・・・
Corteo : Cirque du Soleil
ナント旅行の行きの飛行機の中で、寝たら時差ぼけでどうにもならなくなると思って、3月に予定しているプロジェクトの翻訳をしたり、本を読んだりして、飽きたので映画を見ることにした。あんまり面白そうなものがなかったので、とりあえず「カンフーパンダ」(日本語音声)を選んだのだけれど、結構あっという間に終わってしまう。
(トキオ山口達也の吹き替えはナイス。三輪明宏に「パンダに見える」と言われた後、このパンダ役の話が来たそうだ。オーラの泉で言っていた。)
仕方なく色々チャンネルを回していたら、シルク・ドゥ・ソレイユ「コルテオ」に当たった。
シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)は、名前こそフランス語だけれど、フランスではマイナーな気がする。
ケベックで生まれたのでフランス語劇団名なんでしょう。生みの親はGuy Laliberté (ギィ・ラリベルテ)とDaniel Gautier (ダニエル・ゴティエ)。ラリベルテはアコーディオン奏者、ゴティエは火飲み芸人だったそうです。
現在では常設小屋(ラスベガスが中心)の他、世界ツアーでスペクタクルを行い、今年10月には東京ディズニー・リゾートに東京シアターをオープン。世界各地から登録しているアーティストの数は4000人を超えているらしい。
このサーカス軍団のことは結構前からちらほら耳にしていた程度だったのですが、「コルテオ」を観てすっかりテンションが上がりました。ラスベガスの「O(オ)」を観に行きたい・・・
「コルテオ」は、イタリア語で「cortège(行列)」の意味。
道化師が「自分が死んだ夢を見た」と話し始めるところから、天が落っこちてきたように夢とも現実ともつかない不思議な世界が繰り広げられます。
イタリアらしい退廃的な闇は幻想的で、からからかうように天から現れたり、時折走り抜けたりする天使たちは荘厳、かと思えば「行列」が現れるとちょっと「ちんどん屋」のようだったり。
シャンデリアがぐるぐる回りながら上がって行って、それにぶら下がりながらアクロバットを見せる女性たちが美しい。
どういう仕掛けなのか、靴だけがトコトコあるいたりするようなちょっとゾクッとする演出が好き。
人間空中ブランコのようなアクロバットやジャグリングも文句なしに素晴らしいのです。
DVDが出ていますから、そのうちecorで上映会をやるかもしれません。
来年から日本の各地でコルテオのツアーが始まるそうです。
生で観たい~
祈り
トイレの落書きその2。 Les plus grandes douleurs sont muettes...
辛苦というのは得てして静かなものです。
本当の痛みというのは静かにやってくるものだし、
本当に苦しんでいる人は、静かに苦しむ。
誰かの「静けさ」に気づくこと。気づくことができること。
開いた一通のメールに「祈り」という言葉が何度も現れる。
Ca happe mon coeur...
fluidite
Comme la Loire...
文を書けども、下手の横好き
しゃべれども、流れは悪く
どうも、フランス語を集中的にしゃべった後に日本語の文章を書くと、節と節のつなぎがおかしくなる。
フランス語を集中的に書いた後は特に問題ないのだけれど。
たぶん、問題に気づいていないだけなのだろうけど。
まあいいや、れっせとんべ。
生徒さんたちと再会するごとに、「日常」が戻ってくるけれど、ここではあと少し、ほんの少し、旅行の余韻を楽しませてください。
今回の旅を一言で表すと「人」になる。
(-人-)ヒトねぇ・・・
なぜ人か。曰く。
新しい出会いがたくさんあったし、それが本当に嬉しい出会いだったことももちろんだけれど、それと同時に、それ程深く知らなかった方々をよく知ることができて、savoirが connaître になった。一人一人の新しい面を見ることができたのがすごく新鮮でした。あの人は、実はこんな趣味があったの!とか、この人は実はこんなにミニヨンだったんだ~とか、会話が楽しくて楽しくて仕方なかったです。
それに、もう随分知っているつもりでいたら、あらあら、それは私の作り出したイメージで、目の前の本物はもっと刺激的で面白かったり、意外だったり。だから、余計に大切になったし、もっと好きになっちゃった。
さて。
今回の旅行(に限らず毎度だけれど)で大活躍だったSちゃん。
改めて惚れ直しましたがな。
なにがって、まあ、どこまでもオテスに徹し、まかせとけ!とみんなを引き連れ、仕事をキャンセルし、さらに名演奏でみんなを唸らせ、目の下に隈を作ってドイツに発つ・・・本当に、友人として誇りの限りです。
もうちょっと、フランス語講師としての視点から賞賛させてもらいますと・・・
彼女のフランス語に、私は目から鱗が落ちました。
に、日本語に聞こえる・・・
いえ、決してSちゃんの発音がひどい日本語なまりとか、そういうわけではありません。
もう10年以上も在パリで、意思疎通に問題があるわけでもありません。100%フランス人は彼女の言うことを理解しています。
何が言いたいのかと言うと、説明するのがとても難しいのですが、彼女がフランス語をしゃべっている時と、日本語をしゃべっている時の「感覚」に、全くぶれがないんです。
彼女が
「Oui, je pensais à ça」 という時、私には「うん、そうだと思ったんだよね」と聞こえてしまうのです。
彼女に限らず、在ナント邦人の方々は皆さん普通にフランス語でしゃべるし、彼女以上に長年フランス語生活を送っているわけですが、彼らがしゃべっているのを聞いていると普通にフランス語に聞こえるのです。
こんなミステリアスな感覚は初めて味わいました。
彼女の日本語の心の声が、他の人よりも大きくてそれが私にはテレパシーのように聞こえてしまうのだろうか・・・?(それはそれで笑える)
けれど、フランス語でしゃべっている時は日本語では考えていないはずだし、いったいなんなんでしょう・・・と、一緒に居る間ずっと、実は密かにサーチしていたのでした。
これだ!という答えはいまだに見つかっていないのですが、手がかりになるものは見つけました。(ごめん、勝手にコバイにしちゃった)
Sちゃんはパリに住んでいる日本人らしからぬ(!)ところがあって、実は今も新潟に暮らしているんじゃないかと疑いたくなるような、フランスに旅行に来た日本人がほっとする空気を持っています。本人に聞いたら、それでも、昔は例の「同属差別」(Cf.パリ症候群)的な考えもあったりしたそうなのだけれど、今は本当に自然にパリの人で、日本人で、新潟の人で、Sちゃんなんです。どれもこれもが本当に自然。
そんなSちゃんの日仏語はもう完全にフュージョンしてしまっているのかもしれません。
しかも、独特のユーモアを持って、融合しているようなのです。
私は、普段考えている時や書いている時、聞いている時にはそのままフランス語にずるりと入っていけるのですが、しゃべる時は今も昔も「どっこいしょ!」とやらなければだめで、démarrerしてからもしばらくは言葉を失ったり、探したりしてしまいます。いったんモーターが回りだしたらあとは大丈夫なのですが、必ずエンジンをかける時にばすんばすんとエンストを起こす、その原因が彼女のおかげでわかりました。
常に、「正確に発音しなきゃ!」とすごい意気込んでいたんだと思います。それで却って力んでLとRを間違えたり、BとVを間違えたり(まるでファミコンのコントローラーのようだ・・・)、つっかかったり、ひっくり返ったりしてたわけです。
もっと自然に、日常でフランス語を!のスピーカーだった私が、実は一番だめじゃん!
うーん、確かに、生徒さんが面食らわないように、かなりフランス語をセーブしていたところもありました。
正しくなければ、しゃべらないほうがよいとも思ったり。でも、それではいかんのです。
そんなわけで、今後は「Travailler plus pour gagner plus*」の精神で(笑)、身体にフランス語を浸透させて行こうと決心したのでした。
* Travailler plus pour gagner plus はサルコジのスローガン。「もっと働いてもっと稼ごう」。寝言は寝て言え的。
etre
ユーロ・ヴァージョン
スーツケース行方不明、スリ、パスポート紛失、現金を落とす、迷子、喧嘩・・・
どれもなくて、無事日程をこなし帰ってまいりました。
ナントはしかし寒かった・・・歯がなる寒さ、すっかり忘れていました。
それでも、メンバーの皆さんはそんなに雨に降られることもなくて、やっぱり新潟・フランス協会には晴れの神がついています。
しかも、パリへの移動日の前日に、SNCF(フランス国鉄)のアトランティック路線で架空線の故障があり、一日違っていたら5時間はTGVの中に閉じ込められるところでした。
(でも、TGVの一部の座席がダブル・ブッキングか?!という事件はありましたが。笑)
写真を整理しつつ、ぼちぼちecorサイトのナントページを更新して行こうと思います。
今回は、住んでいた時にあえて行かなかった所を色々と回れて、すごく楽しかった!
それにしても、つい昨日も居たような不思議な感覚でした。
なかなかわかってもらえないのですが、
一種独特の浮遊感というか、ここに居るようで、ここに生きていないような、時空に縛られていない、そんな感覚です。
これは、新潟に居ても同じで、今、ここで生活をしているけれど、なにか現実感のないような、遠いような、そんな感じにふと陥ることがよくあります。
頼りないか、と言えばそうではなくて、むしろ、土地に囚われることはないとわかって、気楽で居られるから楽しい感じ。ラリってる、とも言えなくもない。
「なんかね、ナントと新潟、どっちも自分にとって嘘っぽい、リアルじゃない感じがするんだよね」
と、ナントのO兄に話したら、
「それって、逆なんじゃないの?両方とも自分にとって真実なんじゃない」
と言われました。
確かに、そうかも・・・。
結局、自分の感覚を通してのみ私達は世界を知ることができて、その「私というフィルター」を通すことで「100%ピュアな真実」というものはなくなる。たったひとつだけを「正しい」と言いたくなるけれど、あれもこれも、「正しい」・・・。
ナントから引き上げてくる時、知らないうちに、「これから私が生きる場所は(今のところ)新潟で、ナントではない」と、どこかで決めつけてしまったのかもしれない。そんなことする必要なかったんだ。
今回の収穫。量にしたら意外にそれほど多くなかったかも、と言ったら、色々な人から突っ込まれそうな気がします。本でもチラシでも、最近は常に「あ、これ教材に使える」と見てしまうのですが、それでも趣味のものをたくさん手に入れてにこにこしています。
これからのe-corで使うものとしては、
映画「奇人たちの晩餐会」
ノーベル賞作家のもの、ということでル・クレジオの短編
そして、文学を通したフランス語学習用の教材(初級・中級・上級)を手に入れました。この教材は、大学に居た時から目をつけていたのですが、中世から現代まで様々な文学の抜粋を取り扱っている優秀なものです。
来月で一周年を迎えるにあたって授業内容も少しシェープアップしてパワーアップします。
A suivre...ア・スウィーヴルということで、お楽しみに!
おしらせ
そんなわけで、ちょっくらフランスにいってめえります。10月28日~11月3日の間は、ひょっとしたらゲリラで更新するかもしれませんが・・・ あまり期待しないで下さい。 A bientOt !
おもしろきもの
Je passe mon temps entre Vannes où réside mon père et Nantes, avec quelques échappées à Rochefort sur mer où nous avons de la famille, mais tout cela est bien monotone depuis le départ de mon épouse.Je vous attends avec impatience.
C.B.
旅行前になんやらかんやら仕事の話が飛び込んできて、久しぶりにやかん状態になりかけていました。
水曜日夜、リニューアルオープンしたNHK文化センターのPassion ! France(パッション・フランス)第1回目を無事終了することができてほっと一息です。お集まりの皆様ありがとうございました。結構様々なところに旅行に行かれている方が多くて、みなさんすごいですね~。懐かしい顔もちらほらあり、再開してよかったなーと改めて思いました。
最近、e-corの教室では、各アトリエの「カラー」のようなものが出てきて、見ていると本当に面白いです。
その面白さというのは、表面的な「面白さ」、「おかしさ」とは違うもので、なんなんだろう・・・と思っていたのですが、高校の時になんとなくしか意味を捉えることができなかった古典の「おもしろきもの」というところなんだと気づきました。
当然ですが、グループの中には個性と言える「差」があります。それは、勉強を始めた時期にもよるし、もともとの能力や性格などもあります。その違いを理解したうえで、自分は「答え」をわかっているけれど、辛抱強くまだわかっていない人を待ってあげる、という生徒さんを見かけると、なんとも言えずうれしくなります。
わからないけれど、とりあえずある知識の中で自分なりの答えを出してみる、というチャレンジが初級の段階からできる方もいらっしゃいます。スバラシイ。
「わからないし、間違えるのが怖いから言わない」というスタンスよりも、「間違ってもいいから一歩踏み出してみる」という方がいい、とよく言われます。生徒の立場から見てみると、この言い分はわかっているけどなかなかできない。なぜ「失敗するほうがいい」のか、その理由が明確でないからなんですね。
自分の経験を照らしてみて思うのは、ベクトルの問題だということ。ありがちな言い方をすると、「前向き思考」。
「間違えるのが怖いから言わない」というのはマイナスに向かった考え方です。
それは本来「自分の知識を増やしたい、もっとフランス語を自由に扱えるようになりたい」という+の方向と相反するものです。
「自分なりに解いてみたけれど、間違ってしまった」というのは、結果だけに注目すると一見マイナスのイメージになりがちですが、自分自身を見てみるとプラス方向に動いているのです。
目的は何なのか?「フランスセミナー」でもこの点についてお話しましたが、「間違うのが怖い」という場合、「フランス語をより効率的に習得する」という本来の目的が、「間違いを犯さない」というものに摩り替わってしまっているのです。
(たぶん、この辺りが以前考えていた「恋愛と語学学習は似ている」という点なのかもしれません。「振られるのが怖いから、自分の気持ちをごまかす」なんていうのは保身であって、本来の「好きな人と付き合えるようになる」という目的とずれてしまい、ジレンマに悩まされた結果よくわからない言動に出る・・・ということが、私はよくあります。。。)
ああ~勉強してて良かったー!と思える経験が、失敗の向こうに待っているとわかれば、間違えるというリスクを犯す勇気がでてくるんですよね。
上記はそんな「勉強してて良かった」と思った「ナントのおじいちゃん」からの一通のメール。妻を失った彼の想いが「echapper」「monotone」に、切なくも美しい影を落としています。どうか、残された時の中で、一瞬でも多く喜びを取り戻して欲しい、と心から思わずにはいられません。
ナントと、私の父が住むヴァンヌを往復して過ごし、時にはロシュフォールの海沿いにいる家族のところへと抜け出します。しかし、妻を亡くして以来、すべては私にとって動きを失ったようにしか思えないのです。
あなたの到着をたのしみにしています。
「monotone(モノトン)」=単調な
loin de me maitriser
もくもく。
おとといの夕方、車を運転していたら空が圧巻だったので、赤信号であわてて携帯を取り出す。
車内でのこういう携帯使用方法も、やっぱり減点の対象でしょうか。
水曜日のセミナー番外編へお越しくださった皆様ありがとうございました!
急な番外編でしたので前回より人数が少なかったものの、一人ひとりの顔を覚えることができました。
最後の自己紹介実践編では、皆さん同士の輪が自然に出来るのを見て、これをセミナーの頭にやれば良かったかな・・・とちょっと反省。前回に比べ機械の不具合などでキレが悪い展開で、お叱りの言葉を覚悟していたのですが、みなさま本当にお優しい方々でした。
中地区公民館のIさんが熱心に自主学習グループの音頭を取ってくださり、月に2回の水曜夜に新しいクラスで皆さんとの再会が楽しみ!
それにしても、迷いました。行きも帰りも。半泣きでハンドルを握りしめ、ザ・地図の読めない女と成り果てました。たどり着けて良かった・・・。
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どうも最近のヨーガでは、頭の中が忙しいまま。
呼吸をしているとだんだん瞑想状態に入れるはずなのに、なぜか頭の働きが良くなって「あれもしないとな、あ、そうだ、これも忘れちゃだめだ、あのことはこうしよう、etc...」
そんな中でも、落ち着くとひとつの言葉が浮かんで来るのです。
「委ねる」
ついつい、生徒さん達が私の「どう思いましたか?」に沈黙すると、我慢が出来ずに
ああも考えられるよね、これもアリじゃない?と提案したり、誘導してしまうのですが、それは本来のそれぞれの考え方ではないわけです。
この間のNHK「プロフェッショナル」中で、小三治さんが、笑わせるのではない、自分の中から笑いがなんかこみ上げて来るのが本当だと言っていたのに、はっとしました。
バランスを取ろうとすると、あちこちに力が入って、かえってぐらぐらしてしまうのですが、自分の心の中に縦と横の線を描いて、それが自分を支えていると思うと、す、と真っ直ぐに立つことができます。
フランス語で、maîtriser(メトりゼ)という言葉があります。自分自身のmaître(師)になる、つまり「マスターする」こと。これ、掌握するということだと思っていたのですが、それは上記のバランスを取ろうとしてガチガチになっている状態で、実は「マスター」されていない。
本当の意味でのマスターは、手放している状態なのか・・・
などと、哲学めいたことを考えだした所で、リラクゼーション・テクニック(ヨーガの一連の動きの最後に行う)中に爆睡し、夢まで見てしまったのでした。
CINEFILE
明後日に迫ってきた中地区公民館フランスセミナー番外編。色々迷ったのですが、「シネマで楽しむひとことフランス語」というタイトルにしました。 しかし、今回単発の授業(90分)なので長編をお見せすることができず、残念! 抜粋を見てもらっても、その面白さはなかなか伝えきれないし・・・むむむ、どうするよ・・・ と、自分から「映画とフランス語会話学習くっつけたらどうですか?」などと提案しておいて、いきなり躓いていました。 結局、長編はあきらめてle court métrage(ショート・フィルム)を何本かお見せすることにしました。 フランスのショート・フィルムはなかなか質が高いものが多くて、その持ち味の皮肉な視点が生きているものが多いです。時間が限られているが上にお国柄というのが色濃く出てくるので、「癖が強い」印象となって、その「視点」や隠れたメッセージが日本人にとってなかなかわかりにくかったりするのですが、きちんとした解説があれば、とても面白く見られるものじゃないかなと思います。 今のところセミナーや授業では取り上げられないのですが、個人的には馬鹿馬鹿しいものも好きなのでフランス作品はうってつけ。なにしろ、ロシア人のお墨付きをもらってますし。 いつか「映画を見る会(仮)」を作って、くだらない物もだらだら上映したいな~。 会話マナーや挨拶練習には大体「海辺のポーリーヌ」を使っているのですが、今回はクロード・シャブロルの「La Fleur du Mal(悪の華)」の抜粋を使おうと思っています。この映画って日本では一般公開されていないのでしょうか?面白いのにな。 作品を色々選んでいて、ついでに整理をしてみたら、フランス映画だけでDVDが58本ありました。 100本になったら記念になにかやろうかな。
TuとVousのあやしい関係
une Modeste mignon
またもや昔話を御免。 留学して間もない頃、日本人の友達がこう言った。 「あのさ、ビズゥ(頬にキスをする親しいもの動詞の挨拶)をね、男友達とするじゃん。 あれって、もし、こっそりその人のことが好きだったりしたら、超ドキドキだろうね。」 ・・・考えても見なかった! ビズゥ問題は、確かに留学生にとってなかなか悩まされるものなんだけれど、フランス人同士でも結構気を使うものらしい。大学の女友達たち(フランス人)の間で、たまに 「あいつ、CM(大講堂で受ける必須科目)が一緒なだけで別に親しくないのに、ビズゥしてきた」 「マジで?」 「しかも、口に超近いところで、思いっきり唇くっつけてきて、もう超キモいの!」 全員「ヤーっ、キモ~!」 という会話があるのだ(だから、男性諸君は気をつけたほうがいい)。 基本は、頬をくっつけて「ちゅっ」という音を出すだけなので(文章で書くとなんとなくヒワイ)、唇でぶっちゅとやると嫌われることが多いらしい。 私の場合、ビズゥよりも微妙でむしろドキドキするのは「Vous」が「Tu」に変わる瞬間。 (日本語で言うと、Vousは敬語で「です、ます」Tuは「タメ語」で「だよ、なの、じゃん」) フランス映画や小説を翻訳で楽しんでいるとわからないが、原語だと、その瞬間をドラマティックに感じてしまう。 男女では、気持ちが通じ合った瞬間に自然にTuになるので、キス(ビズゥではなく)の後の一言はだいたいTuに変わる。 同性でも同じことで、本当に心を許しあった瞬間に、前置きなしで代名詞の切り替えが行われる。 この間見た「ぼくの大切な友達」でも、フランソワとブリュノがサッカーに行った帰りに、敵チームのサポーターに「アホ!」と叫んで逃げた後、Tuに切り替わったのに思わず感動してしまった。言葉の距離が心の距離を表している。 (ただ、親しくなって気持ち的には「Tu」なんだけれど、立場とか年の差とか、もろもろの関係の微妙さでVousのままのというのはよくある。一昔前は、由緒正しい家柄の場合の家族間や「同士」という意味でもVousを使っていたし) これを、日本語で表現するのはなかなか難しいし、字幕でそんな小技をやられても気がつかないか、「???」となる。 今のところ原語でのみ楽しめる、秘密の瞬間なのかもしれない。
touchee
J.S. バッハ 「フランス組曲」 Suite 5
こころも、スケジュールも、なんだかダイナミックに動き始める。
「むかしの役に立たなさそうな経験」のひとつを、またもやお蔵から引っ張り出してみない?という話を貰った。
そう言ってくれる友達は、宝物。
よく、「お金持ちになると、もうお金が欲しいと思わなくなる」という話を聞くけれど、それと同じで、「人前に出たい」「目立ちたい」という欲求がなくなったとたんに、逆に引っ張って行ってくれる人が現れる、アイロニー。
この間のセミナーで、「芯」や「信」を持てないとプライドが高くなるという話をしたけれど、
私は、私のアイデンティティが何なのかがわからなくて、常に「私はここにいるよ!」「私だよ!」と、声を嗄らして叫び続けなければ、この世から消えてしまうような気がして、こわくてこわくて、無意識に「芝居」を選んでいた。結局、そこに「わたし」が居るわけもなく、熾烈な争いの中で私の声はだんだんかき消されてしまうことになったのだけれど。
きっと、さびしかったんだ。
「古い」友達が、時々はがきを送ってくれる。
「見てるよ」と言ってくれる。
「いつか会いたいね」と言ってくれる。
これも、宝物。
元気ですか?
たくさん語ったあの頃が懐かしいね。
あの頃の私の一部には、きみも居て、だから、会ってなくても力強く「生きている証」を感じていた。遠くに居たきみだけが、近くにいるひとたちが知らない私を知っていたんだよ。
あの頃から、本当は、「もういいよ、大丈夫、ここにいるから」と言ってくれる人が欲しかった。
今は、「大丈夫、私がここにいるから」と言えるようになろう。
Talk Street
79.0MHz
この間、前振りした「ちょっとおもしろいこと」。
新潟ではすっかりお馴染みになったFM PORT。
毎週土曜日17時45分からの番組
「篠田市長のTalk Street」にゲストでお邪魔してきました。
新潟・フランス協会事務局長さんと一緒です。
今月末のナント訪問を中心にナント市の紹介がテーマで、2回分の収録でした。
篠田市長こと「マスター」の巧みな「フリ」に、すっかり安心してリラックスしまくって(汗)楽しかったです。
全然関係ないのですが(またか)、市長は指がきれーい
男の人の指って、ちょっと気になる派。
綺麗だと、どきどきしてしまいます。やば、私、挙動不審(!)だったかも。
放送は10月18日(前編)と10月25日(後編)17時45分~18時です。
お時間ありましたら、聴いてみてください。恥ずかしいけど。
スタジオに入るの何年ぶりだろう・・・(ラジオ収録は初めて)。
「あんた、そんなことやってどうするの?!」
と言われ続けて○十年、
そんなことでも、どっかでうっかり役に立ったりするものなんだなぁ。
Etre elite ou non, ca c'est la question
Faire des études à l'étranger, c'est désormais un chas à travers lequel "on fait passer le chameau" ?「らくだを針の穴に通す」=実現不可能と思えることに果敢に挑む
ゲートウェイ21破産について、ひとつ思い出すことがある。 あれはまだ、語学学校で落ちこぼれていたころ。 授業の後、「フランス語使用体験」をむさぼろうとよく先生方に「ぶらさがって」いた。 ある時、ある先生がこう言った。
« En fait, pour aller à l'étranger, il faut être déjà élite de son domaine dans son pays. » (留学するには、自国ですでにその分野のエリートであるべきなんだよ。)
これを聞いた私は、「このエリート主義野郎!」と猛然と襲い掛かり、首を絞めにかかった と、言いたいところですが、
「でも、それは、ひとつのエリートしゅぎですね」 (フランス語がつたない故に平坦な文しか言えなかったため、うっかり温厚な黄色人種を演じてしまう羽目になった。)
Putain merdeぐらい付けてやればよろしかったと歯噛みをするところです。 (その後、慌てて超イヤミを込めて「Ah VOUS ETES élitiste !」と言ったのですが、例の肩をすくめたポーズで「C'est comme ça(まぁ、ね、そういうこと)」と言われ、あっさり敗北。)
それでも、「Mais」というひとつの接続詞が思わぬ効力を発揮して、私の顔色が変わったのを目ざとく察知した先生は、もじゃもじゃ言い訳をするとさっさと話題を変えてしまいました。そのうろたえぶりからも、決して落ちこぼれをもって自任する私を皮肉ったわけではなかったみたいです。 語彙に乏しく、流暢でなくても伝わるんです。(逆に、先日のKouchener外相のように、hひとつの発音で揚げ足取りをされる場合もありますが)
この彼の発言、正直に言うとわからなくもない。 ひっかかるのは「であるべき」という部分だけれど、 留学はハイレベルであればあるほど楽しいと思うから。 高いお金を出してわざわざ外国に行って、自室に篭って宿題のコンジュゲゾンを唱えるなんて、ほんとコンジュゲ損だよなーと、思ったものです。その状態を幸せと感じられる人ならOKなんでしょうが、勉強の苦しみとかもだえとかに興奮や快感を感じない(?!)場合は、つらくて身体を壊してしまうことになりかねないし。海外で病気になると大変ですから。
私がフランスに行かなかったら出会わなかったであろう、いわゆる「エリート」と呼ばれる人たち(大学の教授方や、友達)と接してみると、やっぱり余裕を持っている分、何をするにも「満喫」できるんだろうなと感じました。 昨日はそんな内の一人、元ナント番長H氏に2年ぶりに会って思い出話で盛り上がりました。 新潟からナントに行った人は、口を揃えて「なんか地元にいるみたいだなー」という感想を漏らすのですが、ナントを知っていて初めて新潟に足を踏み入れたHさんが「ナントに似てる」という貴重な裏づけを下さいました。 そんな訪問者に「イタリア軒」の由来を教えてもらっちゃったりする、うかつな私。 そんなマニアックな話題であやしく新潟を満喫していたH氏でした。 今度はわっぱめしにしましょう。
セミナー番外編のおしらせと「ぼくの大切なともだち」
Monsieur Gine Aubert.
昨晩、記事を書いたのですが、最後まで来たところでVAIOがバグったので、力尽きて寝ました。ソーリー。
まずは、10月1日のフランスセミナーにご参加の皆様本当にありがとうございました!
テーマを語りつくすには90分は短すぎて、ぎゅうぎゅうに詰めた状態になりましたが、皆さんの真剣なまなざし、楽しそうな顔、活き活きした目を見ていると、時間があっという間にたってしまいました。
あれだけの人数の日本人の前でお話をするのは初めての体験だったので、貴重な勉強になりました。こちらこそ、とても大きな力を頂きました。
朝10分学習、私もやってみようと思ってます。
「講師がパワフルだった」「エネルギッシュだった」という感想を多く頂いたのですが・・・パ、パワフル、でした?
「タフ」とか「ガッツがある」という男前なお言葉を頂くことが最近増えてきまして、微妙な気持ちを持ちつつ、有難く承っております(笑)。
そして、うれしいニュースなのですが、
中地区公民館フランスセミナーの番外編として、「ミニフランス語会話講座」をやっていただけることになりそうです。
Youpi!
どんなことができるか、担当Iさんと早速アイデアを練っています。
それから、もひとつ、ちょっと面白いお話が飛び込んできたので、近々こちらもお知らせすることができると思います。
た~のしみだ~
さて、前回の記事でお話したルコントのMon meilleur ami(ぼくの大切なともだち)。
良かったですよー退屈しなくて(!?)
ありがちな流れでしたが、細部によくわからないこだわりがあって楽しめました。
ただ、主人公のフランソワ(ダニエル・オートゥイュ)より、彼の周りの人々の方がよっぽど性格が悪く思えるのですが・・・
誕生日ディナーの席で、本人目の前で「お前が死んでも、葬式には一人も来ない」と言い切るなんて根性悪~い。
そんな人々の中で、ダニエル・ブーン演じるブリュノの顔に癒されます。ちょっとP.フォレスト先生に似ている・・・(性格は多分似ていない)
みんなに好かれるコツということで彼が伝授する「3つのS」。この部分の字幕をあんまり覚えていないのですが、フランス語では
Sympathique, Souriant, et Sincère
(感じよく、笑顔で、誠実)
がその内訳でした。3Sと訳すのは難しいかも。
フランスのタクシードライバーは、ブリュノのようにやたら博識な人が多いです。昔、フォンテンブローに行った時に乗ったタクシーの運ちゃんが、運転している間中ヴォー・ル・ヴィコント城について歴史の授業をしてくれたことがありました。
それ以来、いつか行きたいと思ってるんだけどね・・・
クライマックスで、そのブリュノが、念願叶って「Qui veut gagner des millions?(フランス版クイズ・ミリオネア)」に出演するという設定なのですが、あのBGMとJ.P.フーコー(日本版は、みのもんた)の笑顔を見ただけで、思わずうるうるきてしまいました。。。ホームシックみたいなものなんでしょうか。話とは関係なく、ジャン=ピエールはいいやつだ!と思ってしまいまいました。
ちなみに、「ファイナル・アンサー」をフランス語では
C'est mon dernier mot, Jean-Pierre.(セ・モン・デルニエ・モ、ジャン=ピエール)
と言います。きちんと司会者の名前を最後に言うところがポイントです。
フランスの最初の滞在先の奥さんが、この番組に絶対に出ると言って参加申し込みの電話を掛けまくっていましたが、一回もつながりませんでした。でも、番組を見ながら回答しているのを見ている限りでは、だんなさんの方がよっぽど正解率が高かったのですが・・・
映画が終わった後、
「ミリオネアってフランスの番組だったんですね~」
「あれはアメリカじゃないの?」
と生徒さんと話していたのですが、オリジナルはオランダだそうです。
個人的に、クイズ番組の中では「Le Maillon faible」の方が好き。Laurence BoccoliniのSM女王っぽい仕切りが好きです。最後のウィンクがかわいい。
彼女が小学校の先生役で主演の連ドラもよく見ていました。
またもや、何の話だかわからない記事になりましたが、一番わからないのは今日のおなすさんの写真かもしれません。
ちょっとそわそわしているので、今日のヨーガも散漫でした。
saut logique
....
ここ数日、「外国語学習と恋愛の相似点について」ということを考えている。
てか、考えたいんだけど時間がなくて、頭の中で飼っているです。
今、e-corの生徒さんたちには順次「優位感覚テスト」をやって貰っています。
ここでも前に紹介しましたが、Test.jpというサイトで様々なスキルをテストできちゃうんです(一部有料)。
この優位感覚テストはあくまでも参考にするためのものですが、質問に答えていくことで「視覚」「聴覚」「触覚」「言語感覚」のバランスをグラフで表してくれ、それぞれのタイプに有効な学習手段を提案してくれるものです。
自分に有利な方法を知っておけば、単語の記憶や文法の学習などの役に立つのではないかな?
ちなみに、私の結果は「言語感覚」と「聴覚」が僅差で高い数値を出していて、次いで「視覚」。「触角」はぼちぼち・・・というところでした。
「言語感覚」が一番高かったのだけれど、このタイプの特徴として
「常に頭の中で何かを考えている」
というのが挙がっていて、たしかにな~と笑ってしまいました。
私の場合、上記のようなくだらないことを常に頭の中で転がして遊んでいるので、世の中にちっとも役立っていない。その上、どうでもいいことに気を取られることしばしで、小論文でもよく「haut sujet」(論外)という赤字の添削をつけられたものです。
それにしても、なんで外国語の勉強と恋愛が似てると思いついたのか、それすら思い出せない・・・
さて、明日の水曜日のアトリエは課外授業で「ぼくの大切なともだち」を見に行きます。
ルコントと言えば、Le Splendid。
この日本人らしからぬ脳内リンクは、わがフランス語の最初の師匠L氏が、まだabcもまともに言えない私に、彼らのあまりにもおバカな作品(Les bronzésシリーズ)を立て続けに見せたからとしか思えません。
初めて見せられた映画が「Le Père Noël est une ordure」というのは、あまりにもヒドイ話です。
(それでフランス映画が嫌いにならなかった私もどうかと思う)
そういえば先日、クリスチャン・クラヴィエがコルシカ島に持っている別荘を過激派に占拠されて、慌てふためいて電話をかけてきた管理人(拘束中)に「酒でも振舞って丁重におもてなしでもしておけ」と言ったとか言わないとかいう話がル・モンドに載っていましたっけ。
・・・ますます冒頭の「命題」からかけ離れて、さえない伝言ゲームのような状態になってきましたので、この辺で閉めます。
La fourche qui m'a larguE
「話し方教室で1年以上勉強しないと国会議員にはなれない」という法律を作ってほしい。いま日本版「ギニョール・ド・ランフォ」をやったらネタ盛りだくさんだな・・・
変身
めずらしく。
思い立ってクッキーを作ったりした先週でした。
ご無沙汰でございます。
できたと思ったり、練り直してみたり・・・講演ってのは難しい。
日ごろの適当さが首を絞めています。
とうとうゲーテなんかまで引っ張り出してきちゃったりして(←病院で手塚治虫の「ネオ・ファウスト」を読んだ影響。セミナーではゲーテは引用しない予定ですのでご心配なく。)
フランス語話者の日本人にお聞きしたいことがあるんです。
非常に漫画チックな話なのですが、
中級レベル位の時、「二重人格現象」って起きたりしませんでしたか?
フランス語でしゃべっている時は日本語の自分よりもアグレッシブで(これはま、言語上仕方ないんですが)、開放感を感じるような、ラリッてるに近い高揚感とか無敵感。
・・・私だけでしょーか・・・
フランス語を本気で学びだすと、頭の中でテリトリーのようなものができると思うんですが、日本語野との間にはっきりとした「壁」があって、日本語からフランス語に切り替える時はスイッチが入るような感じ。
今は、「フランス人」の私はほぼ「日本人」の私に同化した、というか、混じってニュータイプになったという(ネオまり?)感覚に近いので、脳内の「壁」は網戸化して、その間を2言語(+その他)の概念がクラゲのように漂っている・・・という感じ。
だから、フランス語で考えつつ日本語で話したり(逆もあり)。
言語学は3年間初歩をならっただけで、Science de languageはほとんど触りだけしかやらなかったのですが、続けていればこういった話題も出てくるのでしょうね・・・楽しそうな、ラるゲ(larguéついていけない)分野のような。
「箴言と省察」といえばラ・ロシュフーコー、と思っていましたが、ゲーテのも面白いです。
「ある人がティモン*に子供の教育のことで教えを求めた。「お子さんがたには」と彼は言った、「どうせわかりっこないことを教えさせなさい」。 *ティモン(紀元前約320-前230)はギリシアの哲学者で、人間ぎらいとして有名であった。
Amour en cage
「籠の中の愛(こころ)」とは、鬼灯のこと。「ほおずき」という日本語の音もすてきだけれど、フランス語でもちょっといいじゃないですか?
今夏、残念ながら来られなかったLa Belle Vie Trio とコンタクトをとったら、サイトで流れている曲を全部ZIPで落とせるようにしてくれました。即効対応してくれたのですが、教えてくれたテレシャルジェ(ダウンロード)用URLが思いっきり間違っていたので半日を棒に振った・・・。
ナントが一応活動拠点のラ・ベル・ヴィ・トリオでキーボードを担当しているピエール・フランソワ君は現在オランダでジャズのマスターコースを取っていて、今年が最終学年。
オランダ生活はフランス生活よりも「インテリジェントだよ」と言っていました。
今後はパリで活動をしていくそう。ベルヴィ以外にも個人やコラボでステージに上がっていて、曲もかっこいいですよ。
サイトに行くと音楽が聴けます。
www.myspace.com/pierrefrancoisblanchard (フランス語サイト)
私らのナント滞在にあわせてオランダから来るとか言っていますが(まゆつば)、トリオでイベントに出てくれないかなー。
en cage と言えば、私もかんづまってセミナーの準備をしています。
講義内容はこんな感じでまとまりました。
1.フランス語、キーワードは「変わり者」
2.語学冒険譚
3. 日本で生かす語学
1時間30分で、残りは質疑応答タイムにできたらいいなーと思っています。
フランス語の手紙、文末のあいさつ表現
この内容はnoteの記事でお読みいただけます(一部有料)
- 教育機関、例えば語学学校や大学とコンタクトをとって資料請求するとか、点数の不服を申し立てるとか、間違いの訂正請求とか、その他の願書。
- 公共料金、税金、電話・携帯、銀行などのサービス機関とのコンタクト
- アパートの大家とか、寮の事務所など
- ネットで買い物をする時のやりとり
- その他、申し込み・応募一般 (クラブ、サークル、イベント関係、etc.)
「敬具」まで行かなくても〆の挨拶は欠かせないもので、そのパターンたるや、大変なものです。
Dans l'attente de votre réponse, je vous prie d'agréer, Madame, [Monsieur,] mes salutations distinguées. (お返事を心待ちにしつつ、敬具)
なんてのもよく目にしますよね。
agréer は同意する、受け入れるという意味の動詞なので、「私の尊敬の意をお受け入れ下さい」という言い方で「敬具」を表します。代わりにaccepter(受け入れる、認める)でも同じ意味になります。
なるべく早めに幾つかのパターンをストックしておくと便利なのですが、人によっても千差万別で、いったいどんな関係のときにどんな言葉を使えばいいのか???となるわけです。そこで、使える表現を関係ごとにリストアップしてみました。
手紙・メールの文末の挨拶
1. 宛先リストのトップは「大統領閣下」
2. 親しい友だちへのあいさつ
3. 目上の人、ビジネス関係など、一定の距離がある場合
4. 尊敬の気持ちを込める場合
5. 様々な表現を学ぶには...
続きは noteの記事でお読みいただけます(一部有料)
パリ症候群考ーあのときのわし
豊作。
うちの庭にはプルーンの木があって、収穫→煮る→瓶詰めをしていると、秋だなぁーとしみじみ・・・ したいのですが、
32℃もあっては無理です。早く涼しくなってけれ~
先日ここでもお知らせしました中地区公民館の「フランスセミナー」ですが、 あれから応募が増えて、いい感じだそうです。 あ、そうそう、終了の時間が20時45分となるそうなのでご注意。 私の回は10月1日ですが、来週月曜日が参加者に配る資料の締め切りということで仕上げにかかっておりました。
参考資料として読んだ太田博昭 著「パリ症候群」は、豊富なケース紹介とわかりやすい論理で秀逸でした。 留学する前に読んどきゃよかった。これからフランスに留学するならぜひ一読をお勧めします。 行くのが嫌になりそうだけれど・・・
今から7年前に出版された本ですが、ここに挙げられているフランス人というものと、それにぶつかる日本人の関係というのは基本的に変わっていないのでは。フランス人のメンタリティがよく分析されているし、日本人のコミュニケートの仕方がどんな壁にぶつかるのかを詳しく説明されていていちいち納得。 著者の太田先生は、自分自身も一外国人としてパリに長く住んでいたから恐らく患者自身と似たような体験もあっただろうし、発症した日本人たちをここまで数多く診てきて、邦仏人それぞれに対してほとほと嫌になる場面に遭遇し続けただろうな、という匂いがします。が、そこは精神科医、感情とは切り離して淡々とフランス人という人種に切り込んで、簡潔に特徴を見せてくれます。
ただ、実際にフランスに行ってここに書かれているようなディープな経験をしてない人が読むと、フランス人というのはみんな気まぐれお天気な屁理屈野郎で付き合うのに苦労する変人集団、と思ってしまうのではないかなー。
ま、実際そういうことありありなんだけど(Oups!)。
わかっていても、改めてこうして羅列される「フランス人」の姿は衝撃的にヤな感じです。
以前から、自分も含めて、留学者は(程度に差があるだろうけれど)精神的に不健康にならざるを得ないと考えていました。だって、自分のアイデンティティをばらして組み立てなおすしかない状況だし。 この本を読んでみると、やっぱりパリに限らずほとんどの渡仏人が発症「予備軍」に含まれるんじゃないかなーと思いました。
まあ、当時の私のように狂っている人が、自分の狂いっぷりに気づくわけがないので、結局後になってみないとそのイタさを実感できないものなんですけれどね。
パリ症候群というのはどんな人々か、というのをここに抜粋すると・・・
- 学歴も知的レベルも高いが、直感的、感覚的で、論理性が低く、イメージ思考が優勢、プライドは高いほうである
- フランス、特にパリに対する過度の憧れや思い入れがある。憧れのパターンがより観念的でしかも視覚的(メディアによる情報の影響)。
- 憧れや思い入れにはさして深い根拠がない。ちょっと聞きかじった哲学や文学・評論を基にフランス・パリをイメージ化し、理想化している。
- パック旅行などで、すでに海外渡航経験あり。
- このたびのパリ滞在には、それほど強い動機や目的がある訳ではない。漠然とパリで勉強したい、あるいは将来、パリで仕事がしたいと思っている。
- フランス語はかろうじて談笑できる程度であるが、自己評価は実際よりも高い。
- 日本の社会、文化については、トレンドの話はよく知っているが、歴史的な知識が驚くほど少ない。
- フランス人の友人がほとんどいない。女性の場合、フランス人男性と同棲していることもあるが、フランス人の友人は少ない。
- 来仏当初は「フランス礼賛」の傾向があり、日本や日本人の悪口を手ひどく言う。
- じきにフランス生活に不平や不満を持ち、フランスやフランス人の悪口を手ひどく言うようになるが、結局は「フランス大好き、フランス人大嫌い」に落ち着く。
- フランス人からなんとなく馬鹿にされている、という内容の「被害意識」が常にある。
- 体調が優れず、疲れやすい。軽い自律神経失調症状が幾つかあり、気分の波は日本にいたときよりも大きい。
- フランス滞在の満足度はむしろ低いにも拘らず、さしあたって帰国する気持ちは毛頭ない。日本にいる親や友人には、フランス生活をエンジョイしているような手紙を書く。
- 周囲から帰国を勧められた時の反応は「やはりパリ、それでもパリ」となる。
私の場合、パリ生活にはあんまり興味がなかったので(だからナントに行った)、そのあたりの憧れや妄想は特になかったのですが、その他の項目・・・
学歴も知的レベルも高いが、直感的、感覚的で、論理性が低く、イメージ思考が優勢、プライドは高いほうである
→ 学歴も知的レベルも低いけれど、以下はマル。
このたびのパリ滞在には、それほど強い動機や目的がある訳ではない。漠然とパリで勉強したい、あるいは将来、パリで仕事がしたいと思っている。
→ ま、パリではなかったけれど、当時のモチベーションは非常に曖昧模糊としたものでした。ので、マル。
フランス語はかろうじて談笑できる程度であるが、自己評価は実際よりも高い。
→ これも、当たってましたな・・・今は討論できるけど、なかなか勝てない。勝てなくても別にいいよ。死にぁしない。それより、勝とうとしてアグレッシブになっている目の釣りあがった自分を見たくないのよ。
来仏当初は「フランス礼賛」の傾向があり、日本や日本人の悪口を手ひどく言う。 じきにフランス生活に不平や不満を持ち、フランスやフランス人の悪口を手ひどく言うようになるが、結局は「フランス大好き、フランス人大嫌い」に落ち着く。
→ これは、当初ありましたね。留学してから初めて短期帰省したときに、スーツケースをウンウン言いながら引っ張って地下鉄の階段を降りているのに誰も手を貸してくれなかったから。でも、最後に見かねたサラリーマンのおじさんが「どれどれ」と降ろしてくれたので「日本も捨てたもんじゃないぜ」と思ったっけ。 現在の私は「フランスも日本もまあまあ好き、日本人もフランス人も、むかつくけどお互い様。フランス語大好き」に落ち着いています。
今度フランス行ったら、またこの辺のバランスが変わるかもしれないけれど。日本に居るほうが、あらゆる面で楽かなーと思っていましたが、やっぱり書類関係でのたらい回しは日本でも変わらない。特に保険関係。
慢性的な疲れは常にありましたね。「わたしゃガイジンです」って額に書いてあるように少なからず感じていたし、語学学校のときは周囲との差をいかに気にかけないかに粉骨砕身・・・努力するところを思いっきり間違っていたし、大学に入ってからはダブらないようにするので精一杯だったし、その間色々とわけのわからない目にも合いましたし(笑)。
周囲と自分が明らかに違っているというのが落ち着かないくせに、同族(日本人)とは一緒にしないでくれ!というよくわからない差別化の狭間で勝手に参っていた時期がありました。
日本の生活でたまった毒が、フランスの持つ毒に吸い寄せられて全部出た、って感じで、とにかくフランス時代のわたくしは、誰よりもヤなやつでありました。 それでも付き合ってくれた方々を思うと、発作的に「ア゛ー!!」と叫んで逃げ出したくなります。 ナントに行った時に、毒を盛られたりしないといいな・・・・