Je passe mon temps entre Vannes où réside mon père et Nantes, avec quelques échappées à Rochefort sur mer où nous avons de la famille, mais tout cela est bien monotone depuis le départ de mon épouse.Je vous attends avec impatience.
C.B.
旅行前になんやらかんやら仕事の話が飛び込んできて、久しぶりにやかん状態になりかけていました。
水曜日夜、リニューアルオープンしたNHK文化センターのPassion ! France(パッション・フランス)第1回目を無事終了することができてほっと一息です。お集まりの皆様ありがとうございました。結構様々なところに旅行に行かれている方が多くて、みなさんすごいですね~。懐かしい顔もちらほらあり、再開してよかったなーと改めて思いました。
最近、e-corの教室では、各アトリエの「カラー」のようなものが出てきて、見ていると本当に面白いです。
その面白さというのは、表面的な「面白さ」、「おかしさ」とは違うもので、なんなんだろう・・・と思っていたのですが、高校の時になんとなくしか意味を捉えることができなかった古典の「おもしろきもの」というところなんだと気づきました。
当然ですが、グループの中には個性と言える「差」があります。それは、勉強を始めた時期にもよるし、もともとの能力や性格などもあります。その違いを理解したうえで、自分は「答え」をわかっているけれど、辛抱強くまだわかっていない人を待ってあげる、という生徒さんを見かけると、なんとも言えずうれしくなります。
わからないけれど、とりあえずある知識の中で自分なりの答えを出してみる、というチャレンジが初級の段階からできる方もいらっしゃいます。スバラシイ。
「わからないし、間違えるのが怖いから言わない」というスタンスよりも、「間違ってもいいから一歩踏み出してみる」という方がいい、とよく言われます。生徒の立場から見てみると、この言い分はわかっているけどなかなかできない。なぜ「失敗するほうがいい」のか、その理由が明確でないからなんですね。
自分の経験を照らしてみて思うのは、ベクトルの問題だということ。ありがちな言い方をすると、「前向き思考」。
「間違えるのが怖いから言わない」というのはマイナスに向かった考え方です。
それは本来「自分の知識を増やしたい、もっとフランス語を自由に扱えるようになりたい」という+の方向と相反するものです。
「自分なりに解いてみたけれど、間違ってしまった」というのは、結果だけに注目すると一見マイナスのイメージになりがちですが、自分自身を見てみるとプラス方向に動いているのです。
目的は何なのか?「フランスセミナー」でもこの点についてお話しましたが、「間違うのが怖い」という場合、「フランス語をより効率的に習得する」という本来の目的が、「間違いを犯さない」というものに摩り替わってしまっているのです。
(たぶん、この辺りが以前考えていた「恋愛と語学学習は似ている」という点なのかもしれません。「振られるのが怖いから、自分の気持ちをごまかす」なんていうのは保身であって、本来の「好きな人と付き合えるようになる」という目的とずれてしまい、ジレンマに悩まされた結果よくわからない言動に出る・・・ということが、私はよくあります。。。)
ああ~勉強してて良かったー!と思える経験が、失敗の向こうに待っているとわかれば、間違えるというリスクを犯す勇気がでてくるんですよね。
上記はそんな「勉強してて良かった」と思った「ナントのおじいちゃん」からの一通のメール。妻を失った彼の想いが「echapper」「monotone」に、切なくも美しい影を落としています。どうか、残された時の中で、一瞬でも多く喜びを取り戻して欲しい、と心から思わずにはいられません。
ナントと、私の父が住むヴァンヌを往復して過ごし、時にはロシュフォールの海沿いにいる家族のところへと抜け出します。しかし、妻を亡くして以来、すべては私にとって動きを失ったようにしか思えないのです。
あなたの到着をたのしみにしています。
「monotone(モノトン)」=単調な