全員集合。
水曜日。安吾賞の授賞式を見にりゅーとぴあへ。 ドナルド・キーンさんの「事実は本の中に、情熱は教師の中に」という言葉にぐっと来た。 金曜日。『地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第7番』を見に行く。 夏に、大阪の友達から「一瞬やけど出てるで~」と連絡を貰っていたので、絶対見に行こうと思っていた。 映画は長かったけれど、今必要だった。知識の断片が次々と面白いように繋がる。 高野孝子さんが大地と繋がる教育の一環で子供たちと雪合宿する時に、
「子供をしかりますよ。けれど、怒ったりしない。『しかる』と『おこる』は別だから。しかってもいいけど、感情的になっちゃだめ。」
と言っているのにはっとした。わたしはよくこの二つを誤解して使っている気がする。 来年始めたいと思っていることが、グレッグ・レモンのインタビューの中で出てきた。 なんか聞いたことあるなぁという言葉が連続して現れる。よく考えたら『神との対話』で読んだことだった。久しぶりに「神」のだじゃれが聞きたくなった。 アンドルー・ワイルの口からついこのあいだ福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』で読んだばかりの「動的平衡」が出てきた。本、借りてみよう。
友達はほんの一瞬だけ、巫女さんの格好で写っていた。天河神社、懐かしい。あそこの能舞台で、ふたりで夏の夜ひらひら踊った。灯篭がゆらゆら幻想的な影を描いていた。大きな白い石がごろごろ転がっているところで、大の字になって鳥居の向こうに見える空を眺めていた。フランスに行く前。
日曜日。EXTENTION58の斉藤さんのサイトーnow!ライブin須田小学校。子供たちと一緒に「ともだちの歌」を歌うというので見に行く。 加茂まで電車に揺られながら、武田百合子の『富士日記』を読む。武田百合子の文体はいつも素直に息をしていて気持ちがいい。彼女の澄んだ「視点」はよく評価されるけれど、わたしにとってはむしろ「聴く」人だ。富士山麓山小屋で暮らし始めた頃、便器の浄化槽が壊れて臭くてたまらないので管理所に電話をかけるエピソードが面白い。
『頭がわるくなってくる臭いがする。うちの商売〔夫・泰淳は作家〕、頭がわるくなると困る商売だから、すぐ直してくれ』といって管理所から工事店に電話してもらう。電話の向うの工事店の人が聞きまちがったらしく『電気がわるいのではねえだ。便器だ。電気がわるくて臭くはねえずら。頭めぐらして考えてみれや』と、管理所の人に怒られている。
加茂駅について、時間を潰すのに商店街をぶらぶら。夏に加茂公園を散歩した時以来。喫茶店のスパゲッティ-一皿とパフェひとつが同じ値段だった。 小学校に着くと、事前に打ち合わせていなかったのにエクステンションの他のメンバーが斉藤さんを見に自然と集まった。こういう結束を見る時、男って羨ましいよねーと思う。女だとこうはいかない。たいてい「ねね、行く?どうする?」みたいな探りの電話が来たりする。 子供たちの演奏と合唱も楽しそうだった。後で先生たちと話した時、
「みーんな本当にあの歌が好きでねぇ」
と言っていた。そういう先生たちの顔もうれしそうだった。わたしも「ともだちの歌」が好き。いつか音楽の教科書に載るといいね。 帰ろうとする所を、女の先生がお茶でも飲んでいって、まあいいじゃないの遠慮なんか、こんなこと滅多にないんだからと、それはもう熱心な引力で勧めて下さるので、みんなブラックホールに吸い込まれる小惑星のように「コンピューター室」に連れ込まれた。コーヒーと須田産のリンゴでお茶をする。色々話をしたようなのだけれど、カバディとセパタクローのことばかり記憶に残っている。みんな気持ちのいい笑顔の日曜日だった。