En ce moment, mon cerveau français commence à faner, et d’ailleurs une question me tracasse depuis toujours : quelle est ma passion sur la langue française ? Voici la crise entre moi et le français. Donc je commence ce journal français qui pourrait me secouer un peu. Je sais que ce n’est pas raisonnable en tant qu’enseignante de français, car, écrire me fait toujours hontes qui s’appelle « fautes » : fautes d’orthographe, d’expression, de grammaire, en somme, de français. Pourtant j’ai un mot magique qui efface tout : « je m’en fous ». Ce n’est pas que je m’en fous de mes fautes que je commets, mais que de la honte dont j’éprouverai. Autrefois, Sartre a écrit L’âge de raison. Je dirai plutôt : je suis en âge de déraison qui me pousse à rédiger candidement des articles en français.
以下は上記の「超訳」と思ってください。ところで、最近「超訳」って言葉をとんと見かけなくなりました。
ここのところ、とある毎に生徒さんたちに聞いて、嫌がられたりしている。
「なぜフランス語を勉強するのですか?」
最近、わたしのフランス語脳が腐ってきている。どうも、脳内フランス語部が怠け気味で、ホワイトボードに書く時に突然綴りがあやふやになったり、名詞の性が怪しくなったりすることが多くなった。フランス語を始めてから8年が過ぎ、最初の熱意ではどうにもコントロールしきれない程えらくふんぞり返るようになったのだ。実際、間違いを指摘されたり恥ずかしい目に遭えば、その時は反省するものの、猿のようにきれいさっぱり忘れてしまう。うきき。 そんな腐仏脳を有しておるのはゆゆしき問題で、なんで腐ってしまったのかとつらつら考えた。そして、思い浮かんだのが「情熱」という言葉。フランス語で言うところのパッスィオン(Passion)。 こんなめんどくさい言語を、日常的に使わなければならないというような必要に迫られた動機以外で学習し続けている方々は、いったいどんな情熱を燃やし続けているのだろう? 難しい質問だと思う。
この「モチヴェーション」、「好きの力」という熱のようなものがないと、ちょっと壁につきあたれば諦めてしまう。過去にやった習い事、水泳、習字、ピアノ、インド舞踊などなどを思い出すと、金銭的、健康的、家庭的、その他の事情などを考慮しても、やはり途中でやめてしまったものは結局本当はそこまで「好き」ではなかったのだと言える。「好き」かどうかよくわからなかったものもある。 ただ、この「動機」というやつは、別に最初からずっと同じである必要はない。もちろん最初の気持ちをずっと温め続けられるに越したことはないけれど、その時々で変わっていいし、最初は不純な動機でもいいのだ。 もっとうまく話せるようになりたい、もっと自由に言葉を扱えるようになりたい、という気持ちがずっとわたしの学習意欲をひっぱってきたし、フランス語の持つ表現の難解さの中にちらちらと見える面白さに夢中になった。けれど、ある程度わかり易い形でまあまあ征服したというような落ち着きを得た時、今度は如何にほころびが見えないようにするかに腐心することになる。職業柄、というのもあるのかもしれない。
ブログに「フランス語とわたし」なんつうサブタイトルを掲げておきながら、今のわたしにとってのフランス語に対する情熱とはなんぞや?長年連れ添った夫婦みたいになってやせんか?「空気のような存在」などと言いながら、ふてぶてしくおならぷーしても平気みたいになってやしませんですか?ということをふと、感じた。 こんなことではいかんので、一番イタイ方法に敢えて出ることにした。いわゆる「上達のためのフランス語日記」。おおう、恥ずかしい。けれど、まあこういうしょっぱいこともしながら人は大人になっていくわけで、そうやって恥ずかしい目にあっている内にそれなりにフランス語筋肉が鍛えられてなんかナイスバディになってしまわないかな~と血迷った怠け者的発想のもと、狂気的な厚顔さで始めようと思います。 L'âge de raison 「分別ざかり」はジャン=ポール・サルトルの小説Les chemins de la liberté「自由への道」第1部のタイトル。