Vu le soin ménager dont travaillé je suis,
Vu l'importun souci qui sans fin me tourmente,
Et vu tant de regrets desquels je me lamente,
Tu t'ébahis souvent comment chanter je puis.
Je ne chante, Magny, je pleure mes ennuis,
Ou, pour le dire mieux, en pleurant je les chante,
Si bien qu'en les chantant, souvent je les enchante :
Voilà pourquoi, Magny, je chante jours et nuits.
Ainsi chante l'ouvrier en faisant son ouvrage,
Ainsi le laboureur faisant son labourage,
Ainsi le pèlerin regrettant sa maison,
Ainsi l'aventurier en sangeant à sa dame,
Ainsi le marinier en tirant à la rame,
Ainsi le prisonnier maudissant sa prison.
Les Regrets,sonnet 12, Joachim Du Bellay
我が労する雑務を見、
我の限りなき煩瑣を見、
我が止め処なき憂いを見、
君驚くは我如何にして詠い得るかと。
我は詠わず、マニィよ、我は泣くなり我が憂愁を、
より明らかに言うならば、我泣きながら憂を詠う、
我然と詠うなら、憂いは詞花と咲き誇る、
然れば、マニィ、我はひねもす詠うなり。
我は詠う、職人の匠がまにまに歌うごとく、
農夫の下ろす一鋤の合間にもらす声のごとく、
はるか我が家を口ずさむ行人の落す涙のごとく、
追憶の麗しき人を浮かべてはため息止まぬ情人のごとく、
波間に歌う船頭の押しては曳ける櫂のごとく、
虜の男が牢の内己が不運を呪うごとく。
「哀愁」ジョアキム・ドゥベレ ソネット12より 仏語邦訳まり
ドゥベレはルネッサンス期の詩人ですが、 今読んでも決して古臭くない。
親戚に当たるジャン・ドゥベレに同行してイタリアで約4年を暮らす中で、 ジョアキム・ドゥベレはフランスを懐かしんで止まない。
なぜ自分は外国に虜にならなければならないのか、 仕事はつらく、フランスにいる友、 マニィやロンサールなどの仲間たちが恋しく、 庇護者であるマルゲリット・ド・フランス(アンリII世の妹)は遠く、 彼は常に義務と郷愁で揺れている。
そうして、ああ、哀しいよと言う声が、詩を作り出す。
職人さんが口ずさみながら仕事を仕上げるように、 お百姓さんが土を耕すように、 船頭さんが波しぶきの中、舟歌を歌うように、 そして牢内の男が囚われの身を嘆くように、 「詠っているのではない、泣いているんだ」という彼の悲しそうな笑いは、なんだか透き通って見える。
時代はめぐり、インターネットに電話にと情報には不自由しない現在にあっても、彼の哀しみの歌は読み手の心に一陣の風を起こす。 感情が、感情の揺らぎを超えて発された時、それはもう感情ではなく 芸術になる。