土曜のアトリエ: 活用を活用する

un petit morceau vol.1Un petit morceau* de FRANCE vol.1
「フランスをつまむ会(仮称)」こと「Un petit morceau de France」がいよいよ来週となりました。わたくしとシェフとは一時かなり険悪になりつつも(笑)、なんとか皆様においしいひととき(moment délicieux)を過ごして頂こうと奔走しております。 どうぞお楽しみに。

このインヴィテーション・カードに使ったのはフランス人のポスターデザイナーの大御所、Raymond SAVIGNAC(レイモン・サヴィニャック)。

一昔前の広告といえば、この人の作品は欠かすことのできないものでした。日本でも有名で、としまえんの七つのプールの広告は子供のときに見た記憶がぼんやりと残っています。一見キッチュな感じなのですが、よく見るとかなりブラックなメッセージが入っているのが特徴。

配色といい、デッサンといい、それ以上行くと本気で怖いとかグロいというその臨界点を絶妙に突いてくるところが、結構好き。怖いもの見たさのようなぞくぞくした感じが楽しくて、いつまで見ていても飽きないのです。

saviyoplait

次回、形容詞をやる時にはこの人の絵を使ってみるのも楽しいかも。

私はこの人の青にどうしても惹かれるのですが、なんなのかな~と考えていたら、おそらく生まれて初めて記憶に刷り込まれた絵本の青空がちょうどこんな色だったからみたいです。片手に乗る位小さな本で、確かくまさんが気球にのって一人で旅をする話だったような・・・そういう、記憶をくすぐる色っていうのも面白いですね。

さて、本日のクラスは動詞の第2ベースを覚えました。

ラテン語を親に持つ言葉の学習者の多くは活用の暗記で挫折を感じるようです。 ちまたの声(?)を聞いても、「活用を覚えるんだけれど実際使いこなせない」とぼやく方が多いこと・・・。

それは多分、「活用のリスト」が頭の中に入っているからではないかなと思います。

確かに、辞書の巻末にある活用形の一覧は忘れた時、初めて目にする活用を覚えるときには楽ですが、あの膨大なリストが実際私の頭の中に入っているか?というと・・・

入っていません。

ま、入っているとしても一部で、しかもあのリストの形になって記憶されてはいません。

では実際どんな風にして入っているのかというと、それぞれの動詞の活用が代名詞とリンクして「パターン」として記憶されています。そして、私の中にある概念と日本語を通さず直接結びついています。だから、フランス語で単語が出て来ても、必ずしもそれを的確な日本語で説明することができるわけではないという状態です。 (きちんとした通訳をする方なんかはこういうことがなく、一つ一つの概念に日本語・仏語それぞれがきちんとリンクできています。)

もうちょっとわかりやすく説明できればいいのですが・・・

例えば、フランス語を始めた頃は

「彼はテレビを見ている」と言いたいとき、

「彼」=「イル」→「見る」は「るガるデ」(必ずしもil、regarderというアルファベットが出てくるわけではない)→イル るガるデ>>>>>>>(regarderの活用表を思い出しています・・・)>>>ジュ ルガルドゥ...テュ ルガルドゥ...イル ルガルドゥ...!(これだ!)→えーと何を見るんだったっけ?あ、「テレビ」...は「テレ」・・・主語はなんだったっけ?あ、「イル・ルガルドゥ・テレ!」

と、最速でもこれだけ遠回りをしなければなりません。(しかも、日本語にはない冠詞を付ける習慣を上のようにすっとばしてしまったり、主語の後に原形をそのまま活用せずに行ってしまうことは初級学習者によく起こります。)

これが、慣れてくると、

(「彼はテレビを見ている」と伝えようという意思を持つ。これはまだ言葉を持たない思考のみ)=「Il regarde la télé.」

この=は一瞬のことで、思考と同時に発生しています。

これは、繰り返し使う・読む・聞く・書くという体験をそれぞれ重ねた結果だんだん思考ルートが最短距離になってくるもので、確かに一朝一夕に到達できるものではないかもしれません。けれど、ある程度訓練したら早めに活用表から自立をしたほうがいいのではないかと思います。

そして、実際に怖がらず使ってみること(独り言で文章を口にしてみること)で体験をし、間違えたら正しいものを記憶しなおすという作業を丁寧にやっていくことで、少しずつ身体にしみこませるのが、身体にも精神にもひどく無理をさせずに済むのではないかなーと考えます。

自分自身気づいていなかったのですが、外国語というのは言わば異物のようなものですから、それを一気に取り込もうとするときには抵抗が起こって当たり前なのです。 (知恵熱が出る場合もあります。)けれど、それを力でねじ伏せる(ここでいう活用表の丸暗記のみの学習)のではなく、ひとつずつ覚えたり使ったりでも忘れたりを繰り返して行くことで最終的に自分の一部となっていくのです。

まーでも、楽しいほうがいいですからね・・・次回4月のクラスではもうちょっと楽しみを増やして行く予定です。

ところで、クラスの名称を「アトリエ」と変えています。 アトリエとは特に芸術の分野に使われるだけでなく、共同で作業を行う場という意味で語学学校の授業でもよく使われる名称です。 まあ、人間のあらゆる活動に常に「アート」を見る国民ですしね、フランス。

----------------------------------- *Manger (prendre) un morceau : 「ちょっとなんかつまむ(食べる)」小腹が空いた時、または「うち寄ってかない?なんか有り合わせで作るからさ」という時に On mange un morceau ? と使ったりします。これは、以前にTVドラマを見ていて覚えた言い回し。

土曜のアトリエ 動詞の匂い

今、わたしこんな感じです。 うーん、だいぶ腫れは引いたのですが、感覚としてなんかこうふぐっぽいというか・・・ 水曜日に最後の難関である左下の親知らずを抜いたのですが、このひとがまたねじくれて生えていたため少々手こずり、結果ふぐなわけです。 帰国後からずっとお世話になっているH先生は本当にとっても信頼できて、まさにゴッドハンドを持っておられるのですが、それにしても親知らずってすごいエネルギー持ってるんですね。

さて、そんなおかめな私を許して頂きつつ土曜日のアトリエ。

今週から文章読解に入ります。

「え?!もういきなりこんなのを読むの?」となるかもしれませんが、正しくフランス語が使えるようになるには正しい例をたくさん知って、それを真似するのが一番手っ取り早い方法、それにはモデルとなる文章、会話にどんどん慣れていくに限ります。

題材はPhilippe Delerm(フィリップ・ドレルム)。 この人の息子、Vincent Delermといえば今のフランスのポップス界において、ひとつの顔となりましたねー。相変わらずオカマっぽい歌いっぷりですが。 この親にしてこの子あり。(オカマっぽいというわけではなく、才能のことです)

今回授業で取り上げた作品は、この作家の名を一躍有名にしたLa Première gorgée de bière et autres plaisirs miniscules (ビールの最初の一口とその他の小さな愉しみ)の中から一遍。今日は『動詞の匂いを嗅ぎ分ける』?!訓練をしました。

文章を読むとなると、その膨大な活字の海に圧倒されてしまうことは大いにあることです。そこで、もし羅針盤を手放してしまったら最後です。 その羅針盤となるのが文法。

どうも文法を「文法の勉強」というカテゴリーの引き出しに閉じ込めて鍵をかけてしまうアプローチが多すぎると普段から思っていました。 私自身、文法を毛嫌いし、馬鹿にしてさえもいました。 文法というのは文法を勉強するためにあるのではなく、書いたり話したり理解したりコミュニケーションをとるため、周りにいる人に意思疎通の際に余計な負担をかけないための気遣いだということをまるきりわかっていなかったんですね・・・。 今、世間で盛んに言われている「応用力」というのは「気遣いの力」とも言えるかもしれません。応用とは、得た知識を「こうも使えるかな?」「これはだめかな?」と試してみる、考えてみることで、よりスムーズなやり取りができるように改良していくことなんでしょう。

例えば、今日の動詞を探す訓練は、実際に今までただの知識の破片だったものを『現場』で応用する実験です。

ここで一番必要なのは「素直さ」!

例えば原形についてなら、ただただ素直に「語尾が-ER,IR...etc.のもの」を探して挙げていくだけ。 確かに、erが付く名詞や形容詞などが幾つか存在しますがそれは本当の例外です。だから、とりあえず疑わずにリストアップしてみて、その中で果たしてこれは当てはまるかどうか?というのを自分の知識を駆使して検証していけばいいのです。

文章を読むというのは、目が捕らえた文字の羅列の組み合わせを、脳がものすごいスピードで処理していくことで成り立っています。今までに見たことがあるという組み合わせのパターンを猛烈な速さで照合して行き、最終的に一番ルールにのっとったものを「結論」として出してきます。

たくさんの文章に触れたり、たくさんの音を聞いたりするのがなぜいいのかというと、脳の中にあるパターンのストックを作るためです。文章をたくさん読んでいれば自然な形で同じパターンに数多く出会うことができ、脳は知らないうちにそれを整理し、累計を取ってカテゴリーごとに保存してくれます。

ストックしてあるデータが薄ければ、知識はあいまいとなり、パターンを探すときにもなかなかヒットしなかったり、似たようなものと摩り替わってしまったりします。ですから、モデルとなるものにきちんと触れ、向き合うことでパターンのストックにつながり、間違いも減っていくということになるのです。

できなかったことにあせりや不快感、自己嫌悪などをどうしても感じてしまいがちですが、考え方を変えてみればむしろどこができていないのかがはっきりしたことで、そこに照準を定めることができるいいチャンスとも受け取れます。 活用を忘れているのであれば思い出せばいいし、根本的なルールや使い方の仕組みがわかっていないのであればもう一度習ったことをおさらいしたり、誰かに聞いてみる・・・具体的に足りないと感じたところを補えばいいのです。

Philippe Delermのcitationをひとつ。

« Ce n’est pas ce que l’on dit qui compte, mais ce qu’on entend »

自分が何を言ったかということなどより、何を聞いたのかということこそが重要なのだ。

毎度、ここの進め方が悪かったなーとか、うっかり間違えて恥ずかしいなーとか、ついつい「自分が言ったこと」にばかり視点が行ってしまいがちな私なのですが、毎度授業で「聞いたこと」は私にとってまさに宝物と言えます。それぞれの生徒さんには独自の才能やセンスがあって、見ていると本当に感心してしまいます。大胆だったり、緻密だったり、勘が良かったり、積極的だったり、素直だったり、選択上手だったり・・・

そんな様子にもっと耳をすませる様でありたいな~と思っています。

e-cor フランス語コミュニケーション教室 第7回 動詞(1)

Post nubila Phoebus.(ポスト ヌビラ ポエブス) 「雲の後ろに太陽(神アポロ)が輝く」

苦しみは永遠に続くことはない。 我を忘れて精進していると、お天道様が照らしていることにふと気がついたりするものです。

と、言う様な天気でしたねーこの日。 さ、本日はいよいよ動詞にアタックして参ります。

現在形のコンジュゲゾン(活用)の第1ベースを習いました。初めて本格的な活用に触れて、最初はみなさんちょっと尻込み・・・だったでしょうか?

もう一度簡単にまとめてみると、

動詞の原形はいくつかのパターンがあって、第1ベースは同じような活用をするグループでした。その特徴は、 語尾が [:next:]-ER(動詞の90%がこの形です): ex. parler, écouter [:next:]-IR(type A) : ex. offrir ----------------------------------------------------------- [:next:]-IR(type B):ex. courir [:next:]-RE : ex. conclure, rire

-----の上下の違いは単数形 (je/tu/il又はon)の語尾が 上は e / es / e タイプ 下は s / s / t タイプ

複数形 (ils/nous/vous)は、この第1ベースに含まれる動詞全て共通で、

ent / ont / ez

になります。

コツは、ERの動詞を一個代表として覚えてしまうこと。これで、どんな動詞が来ても語幹(-ERより前の部分)を切り離して活用を当てはめていけばいいからです。 あとの4つのパターンは、このタイプにあたる動詞が極端に少ないですから、活用だけを覚えるより動詞を丸ごと覚えてしまったほうが簡単です。

さて、いきなりこのいくつかのパターンが並んで、軽くパニックが起こったところで、とてもナイスな分析が挙がりました。

「書き方は違いますが、(Je, Tu, Il, Ils)の四つは発音が全く一緒に聞こえるんですが・・・」

そうなんです。この一声、たぶん皆さんの中にしっかり刷り込まれたと思います。

私が勉強を始めたころの参考書は、みんな J'aime       Tu aimes     Il aime Nous aimons Vous aimez Ils aiment という順番で律儀に覚えさせられたのですが、Ilsの活用がいつもあいまいになったものでした。

今、e-corでは複数の参考書を使っているのですが、最近のものは、イレギュラーな活用の動詞以外はほとんどが

J'aime  ジェム Tu aimes  トゥエム Il aime  イレェム Ils aiment  イルゼェム Nous aimons  ヌ ゼモン Vous aimez  ヴゼメ

という順序で書かれています。この順番によって、上の生徒さんの分析が可能になってくるのですね。

さらに、e-corでは動詞の分類を古臭い第一グループ、第二グループ・・・という形にはしません。覚えるのにこのグループ分けはあまり役に立たないからです。

参考書は主にフランスのものを使っています。日本の教科書でいいものにめぐり合っていないもので・・・しかも、日本のスタンダードな教え方がかなりフランスでのものとずれていて、留学をしたりするとその修正にてこずるという余計な苦労をしなくてはならなかったりします。ただ、母国語の視点からの効果的な習得方法というのもあるはずなので、これからそっち方面も色々と探ってみたいと考えています。

大学でFLE(フランス語教授法)の授業を担当するのは現場経験者の先生達で、半分以上が現役で外国人にフランス語を教えていらっしゃる方々でした。彼らの話を聞くと、初心者への指導で心を砕くのが、生徒による活用の暗記をどれだけ軽減させるか、といったこと。

特に、アジア系の学生は一般的に生真面目(なかには糞真面目)なため、ベシュレル(動詞活用を羅列した有名な学習参考書)を頭から飲み込もうとする無謀な努力をして、目の下にクマを作る例が多いそうです。

その努力が心底楽しいという変態少々変わった方なら放っておくところですが、その苦しみも、大抵は実践の役には立ちません。現実はランダムにさまざまなボールを投げてくるのですから、ベシュレルの1ページ目から順番に出てくるわけではなく、相当な訓練をしなければとっさの場面で「!この単語はベシュレル第47番目のパターン、活用は単純未来三人称単数・・・」なんて頭の中でできるわけがないのです。

そうなると、肝心の場面ででくのぼうだった自分に嫌気がさし、「フランス語なんて大変なだけでちっともおもしろくない・・・あーあ、やめちゃおうかな・・・」という展開になってきてしまうのです。そんな風に挫折してしまうのって、つまんないし残念。

私自身はというと・・・以前から書いておりますが、文法学習をとにかく馬鹿にしていました。お恥ずかしい。多くの日本人に対する「文法の成績はいいが、発言をしない、何を聞いても自分の意見がない。」というレッテルに反発して、「文法なんて使ってるうちにわかるようになってくる、それより会話の流れに乗って、どれだけ教室でウケるかだ!」というわけのわからないルールにしたがって、フランス人もびっくりのごまかし方でその場その場を乗り切ってきました。ペテン師に近い技とも言えます。

多くの人たちは、「おお、こいつは日本人にしては珍しいタイプだ!」と私の「姿勢」に対して評価をしてくれましたが、実際の成績は芳しくないものばかり。本を読む時の辞書の引き方について、大それたことに先生に向かって意見したこともありましたっけね・・・若気の至りとしか言いようがありません。 当然、動詞の活用もなかなか覚えないまま。

今でも暗記は苦手なので、どうしたらより少ない努力で覚えてしまえるのかというのに日々研究を怠りません(笑)。そんな中、「ねむりと記憶」という記事にぶつかったのですが・・・→(Click!)

現在は眠らない人・代表で「さんまシステム」の更新が楽しみなほぼ日睡眠論。しかし、この「ねむりと記憶」は、暗記についてかなり参考になるものだと思います。

むやみに活用暗記に苦しむより、寝ろ!

の心意気で、寝る前にちらっと活用表を見て、おまじないのように唱えて電気を消す。

昨日ラテン語の名詞活用を思いっきり忘れていてかなりガーン!!(←古いなぁ)だったので、ちょっとラテン語のデクリネゾンで実験してみようかな。これについては、追記をしていこうと思います。