師走でごわす。 (と、書いてから、去年もこう書いたような気がしてならない。まあいいや。)
恒例となっている怒涛のコントロール&提出課題も、3年目ともなると混乱の深みもましてきます。
というのも、ナント大現文学部では1年目に20世紀から18世紀、2年目に17世紀から中世を主に学び、3年目になると、ごたまぜになります。
よく、今の自分の状況を客観的かつ冷静に考察するとき、美術の先生が水彩画を描くときに「3色以上色を混ぜると★こ色になります!」といっていたことが脳裏によみがえります。 「狂った世界に居る」 と、ある方に言われてしまいましたが、振り返って見るとまさに狂っているかもねーんと思ってしまいます。
先週は10世紀初めに発見されたほぼフラ語はじめにんげん的文章のSéquence de Sainte Eulalie(聖ユラリーのシークエンス)と、9世紀に書かれたという元祖フラ語文Serments de Strasbourgの比較について、ラテン語とも古フラ語ともいえない謎の文章を分析して、再び「語尾ツ」現象に陥り、直後に翻訳の歴史クラスの課題のヴァージニア・ウルフのフラ語訳(マルグリット・ユルスナールとセシル・ワジュスブロ)比較を書き、先週は同時にマリヴォーの戯曲についての試験と中世の文学クラスのLe Bel Inconnuのcommentaire composéを書くのにまた語尾ツ復活したり旧約聖書に戻ったり、荷馬車騎士と再会したりして、今日3時間の言語習得についてのクラス(オプションのScience des langagesクラス)で、プロトコルだのセオリーだの普遍文法の仮説だのでショートを起こし、腰が痛いといいながら帰ってきたところです。
これだけやってるだけならいいけど、合間に授業があるからそこにバルザックとかコルネイユとかギリシャ劇とかも登場してもう、無礼講状態です。
残るは来週月曜日のルネッサンス期の演劇とポエジーで終わり。
後は年明けの試験までひたすら篭るだけ。
狂ってるなー。
時代も言語も入り乱れている・・・。
最近、文章を書いている時、様々な言語(といっても使えるのは3ヶ国語だけ、全部中途半端にしか使えないんだが)が混じっても気にしなくなった。言語間の国境が薄くなったのかもしれない。
ニュートンは、「人は国境を作りすぎて橋を作らな過ぎた」と言ったけれど、私の頭の中だけでも国境をどんどんつぶしていければいいなと思う。 国境をつぶすってことは、既成概念をつぶすことにもなる。物の見方がぐるり変わってしまうこともある。
verba volent, scripta manent(ウエルバ ウォラント、スクリプタ マネント、話された言葉は飛びさるが、書かれた言葉は残る)。
今までは、真の価値のあるものだけが、言葉として残ってきたのかと思っていた。 けれど、その「真」に閉じ込められた言葉たちよりも、もっと源の、「真の芯」のようなものは、同時に飛び去り、残ることができるのかもしれないと、今は感じる。
「残ること」「表すこと」「記すこと」に、こだわってきたけれど、今は言葉のように軽く、空を漂い、いつか消える自分が楽しい。 現実が時代も言葉も入り乱れてくると夢も多国語になってくるのだけれど、さすが夢だけあって現実の規制を無視してくるので、小学校の時一緒の班だったとっくんがフラ語でしゃべっていて仰天した。
「生きてるのか?」とご心配のみなさま、無事です。
ついでにねじもはずれて、ますますいい感じでぶっとんでます。お気遣いありがとうございます。