「解く」とは 「徳」になること、という。 そうして、こんがらがったものが「解けた」とき、 その意識は「溶ける」。
溶けないで残っていたら・・・? それはまだ「解け」ていないのだ。 だから「徳」にもならない。
本当の酔っ払いは「酔ってません!」と主張する。 だから女の子の「酔っ払っちゃった・・・」てのは、例外もありますでしょうが、多くはしっかりした状態での発言です。気になるあの子がこう言い出したら、男性の皆さん、間違っても「じゃ、タクシー呼んであげる」などと言ってはいけません! Je ferme la parenthèse.
つまり、どんな状態や理想も、それが自意識の中に溶けずに残っているとき、それはまだ完全に実現されてはいないのだと思う。 完全に実現をされるということ、それは「昇華」だと思う。 だから、マインドの中から消えてなくなってしまう。 溶けてしまう。 てなことを、朝、太極拳をやりながら思った。
しばらくご無沙汰をしておりました。 2006年もあと2ヶ月を切って、今が丁度激戦且つ混戦極まる状態です。
一昨日コルネイユのL'Illusion comiqueの小論文を提出し、 昨日から、月曜日のバルザックLa Vieille Filleのテキストの口頭解析の準備に入っています。
L'Illusion comiqueは、いわゆる「入れ子式」になっている劇で、作者自身が「Un étrange monstre(わけのわからん怪物)」と呼んでいる位、あらゆる規格をはみ出している作品です。時間と空間を捻じ曲げるすごい手腕。
バルザックの方は相変わらず難しいのですが、この「老嬢」という作品は特に「解剖小説」として凄まじいです。女体解体!しかも一言もエロティックな言葉を使わない。 心の動きを人間の器官を通して表現することができるのは、バルザック以外にはいないのでは・・・。この作家にとっては、医学者=詩人になるらしい。
最近、もっとも苦手としている数学(というよりわたしの場合は「さんすう」からやり直したほうがよさそうなのだけれど)や物理をやりたくて仕方がなくなっています。 方程式を見るとドキドキします。(現在のお気に入りフラ語第一位が「équation(方程式)」。こういうバカなことは他の外国人フラ語ユーザーはしないのだろうか・・・) 「解く」力、文学や語学って実生活には役に立たないなんてこと、ありません。 その、解く力を普段の暮らしに応用すればいいだけ。 どんな風にわたしにはそれができるか、提供できるか、わたしなりの方程式を作るのに、今は夢中になっているのです。