フランス語を話すのに、文法なんていらない?

 

文法学習というと、「難しくてニガテ」「面倒くさい」「文法なんか知らなくても、会話が上達すれば問題ない」などの声を聞くことが多いですね。今回は、フランス語に限らず、外国語を学ぶ時には避けて通れない文法学習は本当に必要なのかな?ということについて考えてみたいと思います!

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Sommaire

目次

  1. 会話ができない理由

  2. 気持ちでゴリ押し!フランス語

  3. 気持ちに語学力が伴わない...どうする?

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1. 会話ができない理由

かく言う私も、留学した時、

「日本人学生は文法試験の点数はいいけれど、会話で全然話せない」という現地での評判に反発し、

「文法は苦手でも、しゃべれる日本人になろう!」と支離滅裂な目標設定をした黒歴史があります….

でも、ぜんぜんしゃべれない。

そして、な…なにを言っているのかわからねー!


そりゃそうです。

だって、会話をするにも、人々が話しているフランス語は文法というルールに則って、構文(SVOCA : 英語とは若干違います)を使っているというのに、それがわからなければ話せるわけがない ! です。

名詞は文中で、置かれる位置によって主語なのか目的語なのかが決まりますし、冠詞によってその主語が広く一般のものを指しているのか、特定の物を指しているのかを判断したりするので、間違えると話が通じなくなったりします。

(ちなみに、うちの母は主語をすっとばした話し方をよくするので、同じ言語をつかっているのに話がこんがらがることがよくあります。そして「なんでわからないの!」とキレる)

思うように話せず、人が話していることも理解できず、私は語学学校の会話の授業が苦痛で仕方ありませんでした。

そして、その苦しみの原因は、自分の初歩の文法の勉強不足(単に動詞の活用形を覚えていなかった)と語彙不足によるということに気づかず、とんちんかんな自己嫌悪に陥り、危うく海外でひきこもりになるところまで追い込まれていました。

そんな時、勇気を出して行った八百屋さんでおじさんと話せたことがきっかけで、次第に話せるようになっていったのです。

八百屋のおじさんは、わたしのほころびだらけの言葉を辛抱強く聞いてくれ、フランス語難しいよね、フランス人だって相当苦労したのに、あなたみたいなアルファベも違う国の人が勉強するなんて大変なことだよ、偉いね、尊敬する。と言ってくれたのです、多分(←あまり聞き取りができていなかったので、すべて妄想で、実際は「今日はいい天気だね」ぐらいだったのかもしれません)。

それから1年ほど経ち、語学学校の上級クラスで出会ったクラスメイトのおかげで、わたしは文法学習についての考え方を決定的に変えることになります。

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2. 気持ちでゴリ押し!フランス語会話


ケニア人の彼は、自称「9カ国語話せるマルチリンガル」でした。自国の地域や部族の言語がすでに5〜6種類あり、英語はネイティブ、イタリア語もわかると言っていました(真相は定かではありません)。

「宝物は一度見つけたら、絶対に自分のものにしなくちゃ後悔すると父が言っていたんだ(キラーン)」

というエキゾチックな殺し文句で、クラスの女子全員を片っ端から口説き(そして全員にごめんなさいされる)、振られても平気で授業に現れるという鉄のメンタルを持つ彼でしたが、

仏語学習者がはじめに習う avoir (持つ)の活用形をめちゃくちゃに使い、je と tu の活用をまるっと ai で話したり、nous と vous の活用形があべこべだったり、そもそも J’ai を 「ジュ アイユ」とエリジオンせず、しかも接続法の活用形のように発音して聞き手を混乱させ、彼自身はそんなことには一向に頓着せず、大いに、おおらかに、発言し続けました。

先生も、時々直したりはするものの、上級ともなれば学習者が自分自身に持つプライドを考慮し、また自国のアクセントも「チャーミング」と捉えて、彼の「アイユ」の指摘はしませんでした。

(当時そういう方針の先生が多かったのは、大学に入り、FLE(外国語としてのフランス語教授法)を履修して初めて知りました。)

けれど、私を含めたクラスメイトたちは、彼の言葉にだんだんイライラしたり、無視したりするようになりました。上級になっても初歩の発音・文法ルールを守らないで平気な彼の傲慢さに苛立ちを感じていたのです。

ところで、初心者の方によく「日本語みたいに全部原形でいいじゃん、なんで人称によってこんな面倒な活用を覚えなくちゃなんないの?」と文句を言われます。

知らんがな。


と1億回くらい思い、100万回くらいその言葉を飲み込みました(あれ?計算が…)。

会話では、主語と動詞の活用形の両方を手がかりに、誰が何をすると言っているのかを判断します。その2つの手がかりが一致しなければ、聞き手は混乱し、何を言っているのかわからなくなってしまいます。verba volant scripta manent (ウエルバ・ウオラント・スクリプタ・マネント)って有名なラテン語の格言があるじゃないですか。揮発性。主語だけだと聞き逃しやすく、次々と空中に消えてなくなる言葉をとっつかまえて、意味の補完をするために動詞の活用語尾は頼りになるアイテムなんです。

あと一応、日本語にだって活用はあるよね…学校で習ってるよね...

(まあ、昔は人称による語尾変化が今みたいにしっかり統一されてなくて、田舎の人は je と nous の活用を一緒くたにしていたりしたこともありました。モーパッサンの短編にも、そういう田舎の人が出てきます)

さて、文法ガン無視、気持ちで雄弁に語ってくるケニア人の彼について、

「ちゃんと活用してくれないから、何言ってんのかわかんないし、予測しながら聞いているとすごい疲れる」

というクラスメイトのぼやきに、そうだよね〜と同意しかけた私は、「あっ!」と気づきました。

めちゃくちゃな文法で話したり書いたりすることは、それを聞いたり読んだりする側にとても負担をかけているのです。

意外(?)かもしれませんが、フランス人は、通りすがりの外国人に対してもけっこう根気よくこちらの言葉を理解しようと付き合ってくれる人が多いです。こちらのとっちらかった文や、はちゃめちゃな発音にもめげずに辛抱強く聞いてくれたり、何度も繰り返してくれたりしたのは、私という人間に対する敬意があったからです。

それまでの私は「外国人」という大義名分のもと、相手に対してとんでもなく傲慢だったんでは…!

それ以来、文法学習についての考え方は大きく変わりました。

文法学習は、その言語の持つ文化への敬意と尊重を持つことで、自分の発言を受け取る相手に対しての最低限のマナーだと思っています。

気持ちで伝えることも、もちろんコミュニケーションでは大切ですが、それは言語ルールに則っているからこそ成立します。気持ちだけでは、受け取り手に過大な負担を強いることになってしまいます。

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3. 気持ちに語学力が伴わない...どうする?


この話をすると、たいてい返ってくるのが

「でも、尊重したい、マナーを守りたいと思っていても、自分の能力がそこまで追いつかないんです」

という意見なんですが、

なにも、最初からパーフェクトに文法も発音もできなければフランス語を使う資格がない、という話はしていないんです。

正しく発音すること、動詞の活用を覚えたり、語順を覚えたりすることだけで、聞き手の負担はだいぶ軽くなります。

恥ずかしいから発音を適当にするとか、私のように活用を覚えるのが面倒だから原形でゴリ押ししようとするとか、そういう姿勢に「respect(敬意)」はないように思われます。

「わかんないんだから、察してよ」という態度は失礼ですよ、今の自分のレベルでは相手に負担をかけていると自覚しながら学びましょう、ということです。

でも、卑屈になって自己嫌悪することはありません。もっと相手と対等に発言できるようになりたいからこそ、できることを自分のペースでひとつずつ増やしていったらいいし、相手にスムーズに理解してもらえることを目指して、練習を重ねるモチベーションとして、今の自分のレベルに対する不満や不安を昇華できるといいなと思います!

新学期、フランス語を学び始める方や、いままで学んできて、ちょっとつまずいている方に考えてほしい文法学習についてでした。

Bonne continuation !

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